に取っては、思うままに書くことの出来ないのは、もっと辛《つら》かったのだ。そして暮れまでの約一カ月間に、三百枚計画の長篇小説を恰度《ちょうど》半分書き上げた。機関車へ乗りたくって、北海道へ飛び出して行った時の事を書いたのだった。
郷里には五月の末までいたが、その間に十篇の短篇小説を書いた。その中の「石油びん」と「小鳥撃」の二篇は、生田春月《いくたしゅんげつ》氏の選で、「新興文壇」という小雑誌に載った。その時の嬉しさは未だに忘れられない。そして私は、田舎《いなか》で書いた一篇の長篇と十篇の短篇を抱いて東京に出て来たが、また今村家の食客だった。
恩恵を棄て
私は何も書くことの出来ないのに堪えられなくなって、遂に今村家から飛び出して、通信事務員になったり裁判所の雇《やとい》になったりして勉強はしていたが、読むだけで書くことが出来なかったので、作家になることを断念しようと思った。で或る日、室生犀星《むろおさいせい》氏を訪ねて「顔を紅める頃」という短篇小説を見てもらったら、率直でいいが、もっと勉強しなければいけないと言われた。もっと読めというのであった。私はその言葉に力を得て読
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