ねえと、喰《か》れめえから……」
「俺は、何んにも食いたくねえも。」
「何も、先が暗いからって、おっかねえごとなんかねえだ。渡る世間に鬼は居ねってがら。」
「併し考えで見ると、森山の旦那が、あそこの土地を売らながったのだって、ああして困ってのだって、俺等を乾干《ひぼし》にしめえど思ってのごとなんだがらな。それを考えると、此方でだって、ああして困ってんのを見れば、全然小作米をやらねえじゃ置げねえがらな。お房には気の毒だげっども。」
「斯んなごとになんのなら、あそこを売ればよがったんだね。自分だけでも助かったのにさ。」
「売って、その金を此方さ廻してくれれば、問題は無かったのさ。それを森山の旦那は、他の地主等、土地を売払って小作人を困らせでるがら、自分だけは、意地でも売らねえって気になったのさ。ふんでも、皆んながああして売った処さ、自分だけ頑張って、島のように残して置いたって、何になんべさ。頑張るのなら、皆んなで頑張らなくちゃ。」
「ほだからって、恨みってえことは言われしめえ。殺すようなごとしてまで取立てる世の中なんだもの。」
「誰も、恨みごとなんか言わねえ。ふむ。旦那が気の毒だと思ってのごった。」
鬱屈した気持の向け場に困っていた捨吉爺は、唇を尖らして、錆のある太い声で不機嫌に言った。
*
朝の一番の汽車に間に合うのには急がねばならなかった。併しお房は、何事も手に着かないらしかった。微かに身体を顫わしてばかりいた。荷物のことは、父親の捨吉と母親とで皆んな支度をしてやらねばならなかった。
「お房! お房! お房や!」
斯う呼びながら、其処へ、腰抜け同様になって長い間床に就いているお婆さんが、襤褸《ぼろ》を曳摺って奥の部屋から這出して来た。
「お房や! 行く前に、俺にも一目顔を見せで行ってくれろ。俺は、再度《にど》と汝とは会われめえから……」
お婆さんはもう泣いていた。泣きながら、何か手にしていた襤褸で涙を拭った。
「可哀相に、遠くさやらねえで、森山の且那のどこさ、金をやる代りに、働きにやるってようなごと出来ねえのがえ? 東京だなんて、そんな遠くさ行って了ったら、俺は生きているうちに、再度と会われめえで……」
「婆《ばば》さん! 丈夫になっていろな。五年や六年位は、直《すんぐ》に経って了うもの。そのうちに、鶴だの亀らが大きくなったら、俺家もよくな
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