《たた》く音。バケツを打ち鳴らす音。人々は叫び合った。
「熊だあ! 熊だあ!」
「事務所の方へ逃げたぞう!」
炬火《たいまつ》が四方八方から事務所へむけて駈け出した。黒い人影が続いた。犬が吠え合った。石油鑵が鳴り、板木が響き、バケツが鳴った。人々が叫び合った。開墾地一帯が揺るぎ吠えるのだった。
「熊だあ! 熊だあ!」
「熊だとう?」
炬火の薄明かりの中へ地主の藤沢が事務所から出て来た。鉄砲が鳴った。藤沢は唸《うな》って、蹌踉《よろ》めいて、ばたりと倒れた。
「おっ! こりゃ熊でなくて藤沢さんだで。」
佐平爺が、倒れて唸っている藤沢に近付きながら言った。
「善蔵、貴様誰かと駐在所へ行って来う。熊が出たので追い廻していたら、そこへひょっこり藤沢さんが出て来たので、熊だと思って間違って撃ってしまいましたってな。解《わか》ったか。熊と間違ってだぞ。そこの理由《わけ》をよく話すんだぞ。」
「誰が撃ったって訊かれたら?」
「あ、俺が撃ったって言ってくれ。」
雄吾は猟銃を杖にして傲然《ごうぜん》と言った。
「雄吾、貴様は札幌さ行って来ねえ気が? 俺が撃ったのだと言っておいてくれ。」
佐平はこう言って、雄吾から猟銃を奪《ひったく》った。二人の若者達は駐在所へ駈け出した。
「この悪熊も、とうとう為留《しとめ》られたな。」
「何を、馬鹿なことを。――おい、火を焚こうじゃねえか。」
炬火《たいまつ》が積み重ねられた。上から枯れ木が加えられた。焚き火は闇の中に高く焔先《ほさき》を上げた。人々は、がやがやとそのまわりを囲んだ。犬は遠くからいつまでも吠え止まなかった。
[#地から2字上げ]――昭和四年(一九二九年)『文章倶楽部』四月号――
底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
1984(昭和59)年4月14日初版
入力:大野晋
校正:しず
1999年10月27日公開
2005年12月22日修正
青空文庫作成ファイル:
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