を、どんなに慰《なぐさ》めることでしょう。長い間を雪に埋もれて、郷里《ふるさと》を憧《あこが》れ、春の陽光《ひかり》を待ちわびている孤独な人達が、そろそろ雪が消えて、斑《まば》らに地肌《ぢはだ》が見えかけて来た時、雪間《ゆきま》がくれに福寿草の咲いているのを見たら、どんなによろこぶことでしょう。そしてはまた、郷里《ふるさと》を想い、自分達の活動を想い、淋しい生活を振り返って、感慨無量《かんがいむりょう》の涙にくれるに相違ないのです。
○
福寿草は、孤独な人々の心をよく知ってくれます。そして慰めてくれます。もうよぼよぼになったお爺さんが、長い白い髭《ひげ》を垂れて日当たりのいい南の廊下で、暖かい陽光《ひかり》を浴びて咲き輝いている鉢植えの福寿草を前に、老眼鏡をかけて新聞を読んでいるのや、北海道辺の新開地の農夫が、木の根の燻《い》ぶる炉《ろ》ばたで、罐詰の空罐に植えた福寿草を、節くれだった黒い手でいじっているのなどは、いい調和です。それは、その人々も淋しければ福寿草も淋しいからです。そして、その人々も光を憧《あこが》れ、春の訪れを待ちわびていれば、福寿草も太陽の燦爛《さんら
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