その時ほど梅の花が純潔《じゅんけつ》に、気高《けだか》く見えることは無いのです。又、まんまるにふくらんだ白い蕾《つぼみ》が、内に燃える発動《はつどう》を萼《がく》のかげに制御《せいぎょ》しながら、自分の爆発する時期を待っているのもいいものです。そして、このとき梅の花は、その中央に抱《だ》く雌芯雄芯《めしべおしべ》の色や、ふくらんだ褐色《かっしょく》の蕾《つぼみ》と調和して、最も質朴《しつぼく》に見え、古典的《クラシック》な感じを与えるのです。
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 梅の花の美的情緒《びてきじょうちょ》は、小鳥をはなして想い描《えが》くことが出来ません。わけても雀です。そしてその時の梅の花は、本当に冴えざえしく見えるのです。小鳥は又、花の香りを嗅《か》ごうとするように、やけに鼻先を突き付けて、さては蕾《つぼみ》を啄《ついば》んだり、花を踏みこぼしたりするのです。そして小鳥たちの歌う歌から、一声ごとに、明るい世界が開けて行き、梅もそれにつれて、花は香りを深め、蕾は弾《はじ》けて行くように思われます。
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 梅の樹は老人くさい木です。あの節くれだって、そしてひねくれているところは、なんといっても頑固《がんこ》なお爺さんです。併し、なんとなく気品のある老人です。それだけ梅の樹には、老人がよくうつります。まず私達は、土器《かわらけ》のように厚ぼったく節くれだち、そして龍のようにくねった梅の木を想い描《えが》くとき、その下に、曲がった腰を杖に支えて引き伸ばし、片手を腰の上に載せた白髯《はくぜん》のお爺さんや、白い頭を手拭《てぬぐ》いに包んで、鍬《くわ》の柄《え》を杖に、綻《ほころ》びかけた梅の花を仰いでいるお爺さんを想い描かずにはおられないのです。そしてそれは、決して美的な空想ではなしに、私達は奇妙なほど、ひねくれ曲がった梅の樹に、老人のつきまとっているのを見るのです。
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 梅の樹の、最も私達の美的情緒《びてきじょうちょ》を惹《ひ》くのは、なんといっても、やはりその樹形《じゅけい》の節くれだってひねくれているところだと思います。利鎌《とがま》のような月の出ている葡萄色《ぶどういろ》の空に、一輪二輪と綻《ほころ》びかけている真っ直ぐな枝の、勢いよく伸びているのもいいものです。ですが、その若い枝の根元《ねもと》から、私達は、ひねくれながら横へそれている老
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