ど、その土地に在る植物の美を知るには、その植物それぞれの所生の状態、季節や気象に伴うて現わす変化、又は花と昆虫、或いは果実と鳥との関係というように、一々その自然との関係に就いて観察する必要があると思う。

     福寿草

 福寿草《ふくじゅそう》は敏感な花です。最も鋭敏に温度を感ずる野草です。福寿草は残雪のまばらな間から微《かす》かな早春の陽光《ようこう》をあびて咲き出るのです。そしてとても光に感じ易く、光を憧《あこが》れる花なのです。夜明けの微光とともに開いて、夜の暗さとともに眠るのです。太陽の輝きが燦爛《さんらん》たれば燦爛《さんらん》たるほど元気で、曇れば福寿草も元気なく項垂《うなだ》れます。寒さと暗さとをおそれる臆病《おくびょう》な花だけに、あどけなく可愛らしい花です。
       ○
 春の訪《おとず》れを最も早く感ずるのは、あらゆる野草のうちで福寿草が一番早いような気がします。朝の縁先《えんさき》に福寿草のあの黄金色《こがねいろ》の花が開いているのを見ると、私達はなんとなく新春の気分に浸《ひた》って来ます。また、それとは反対に、春になっても、福寿草の花が咲かないと、陽春《ようしゅん》の季節を迎えた気分にはなれないのです。
       ○
 福寿草は暖かい花です。そして明るい花です。あの黄金色に輝く花が、緑の縮緬《ちりめん》のような、すがすがしい茎《くき》の上に、可愛らしいあの明るい顔を擡《もた》げると、私達は去年から重ねて来た着物を、一枚へらさねばならないことを感ずるのです。その時の私達は、明るい晴れやかな心になって、福寿草とともに、涙含《なみだぐ》ましい気持ちで春の陽光に感謝しています。
       ○
 福寿草はどうかすると、非常に哀れっぽく見えることがあります。そんな時の私達は、きっと、襟《えり》をかき合わせ、眉を寄せて寒空《さむぞら》を見上げているに相違ありません。庭の捨て石や蹲《かが》み石《いし》のもとに植えられた福寿草は、よく自然の趣を見せてくれます。けれども、あの肌寒い春さきの風が、思わず障子を閉めさせる時、本当に歔欷《すすりな》いているのではないかと思われるほど、微《かす》かに顫《ふる》えながら哀《かな》しい表情をしています。
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 北海道の人里はなれた植民地に咲く福寿草は、そこに孤独《こどく》な生活を送る人々の心
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