。
「今夜は七時の交代でしょう? 早く帰って闘球《とうきゅう》をしに来ませんか? 西村さん」
貞吉は、頭の中で、自身の若い細君をどうして悦《よろこ》ばせたらいいかと、そればかり考えているのだった。
「行くがね。しかし君のところの細君は闘球盤なんか絶対に駄目だよ。あんな屈《こご》んで胸を圧迫するようなことは全然いけないね。まあ今日は昼のうちに散歩に連れて行きたまえ。悪いことは言わないから」
西村はまた次の信号に掛からねばならなかった。
「え。連れて行くつもりなんです」
貞吉は子供らしい動作で軌条の上を歩き出した。足を踏み外さないようにと用心する動作は過去の記憶を蘇《よみがえ》らすのだった。
――今の妻の家の前を、彼女が窓から観《み》ていることを意識しながら、口笛を吹き鳴らし、綱渡りの格好で軌条の上を渡り歩いたころを。その窓からは、あの秋子《あきこ》の蒼白《あおじろ》い顔ばかりでなく、父親の吉川《よしかわ》機関手が、真っ黒い髯面《かお》を覗《のぞ》けていることがあったことを。
柴田貞吉は秋子を連れて官舎を出て行った。
鉄道線路の高土堤《たかどて》が町|端《はず》れの畑の中を走
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