》きずるようにしてはいって来た。
「なんだけな? 菊枝! 泣いだりなんかして……父《とっ》つあんがこりゃ……」
 菊枝は、着物の上に突っ伏したまま顔を上げなかった。
「なあ、菊枝。さあ、泣いだりなんかしねえでや。」
 菊枝の胸の中には、不満な気持ちが満ち満ちていた。彼女は、その幾分かを祖母の前に吐き出そうとして顔を上げた。眼が赤く腫《は》れあがっていた。
「こりゃ菊枝。父つあんが昨晩《ゆんべ》買って来たのだぞ。ほら、水色の蝙蝠《こうもり》。ほれから、この単衣《ひとえ》も……両方で十三円だぢぞ。」
 婆さんは柔和《にゅうわ》な微笑を浮かべて、こう述べたてながら二つの包みをほどいた。素樸《じみ》なメリンスの単衣であった。濃い水色に、白い二つの蝶を刺繍《ししゅう》したパラソルだった。
「ああ、いいこと!」
 菊枝は思わず言って、そのパラソルを自分の手に取った。
「この水色の蝙蝠、高《たげ》えもんだぢな。なんだが、父つあん、借金して来た風だぞ。爺《じん》つあんさ見せっと、まだは、喧《やかま》しくて仕様ねえがら、見せんなよ。父つあんは、昨晩は、縁《えん》の下さ隠して置いで、今、魚《さかな》とりに行くどて、爺つあんと一緒に出はって行ってから、まだ馳せ戻って来て、菊枝さやってけれろって……」
 菊枝の頬には、また、別の涙がまろび出た。
「大切にしんだぞ。この着物だって仲々いいもんだようだから……」
「うむ。俺、今日さしたら、後は、ちゃんと蔵《しま》って置ぐも。」
 菊枝は涙に潤《うる》んでいるような声で言った。
「一生懸命稼いでな。自分で稼ぎ出して買った積もりで。――あ、早ぐ支度して出掛けろ。」
 菊枝はすぐに立ちあがった。彼女は、涙が流れて仕方がなかった。

     七

 あくる日は、昨日の祭りの草臥《くたび》れ休みというので、村では仕事を休むのが習慣だった。
 春吉と菊枝とは、朝のうちに一日分の草を刈って、爺さんも休ませ婆さんも休ませ、皆んなゆっくりしようと、草を刈りに出掛けて行った。
 仲々いい場所が無かった。どこも皆んな、掃いたように刈られた跡か、短い五六寸ぐらいの草のところばかりだった。二人は、川べりや路傍《みちばた》を歩きまわった。そうして歩きまわっているうちに、町へ通ずる真山《まやま》街道で、二人は町の方からやって来る豊作の父親に遭った。
「どこさ行って来ました
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