はしなかった。
「正勝! 馬車をお停めよ! おまえはずいぶんと薄情なのね、自分の妹が一人で歩いているのに……」
紀久子は冷厳な態度で言った。正勝は無言だった。彼は黙々として馬車を停めただけだった。
「蔦や! おまえはどこへ行くの?」
紀久子は馬車の上から声をかけた。
しかし、蔦代は路傍に馬車を避け、顔を伏せたまま答えようとはしなかった。
「蔦や! どこへ行く気なのよ? え?」
紀久子は繰り返した。しかし、蔦代は依然として顔を伏せたままだった。
「言わないんなら言わなくてもいいわ。おまえ、どこかへ逃げていくつもりなのね、蔦や!」
「とにかく、どこへ行くにしても馬車へ乗せたらどうです」
敬二郎が傍《そば》から言った。
「蔦や? おまえ、どこかへ行く気なら行ってもいいわ。とにかく、わたしたち停車場まで行くんだから、一緒に馬車へお乗り。おまえ停車場へ行くんだろう? 蔦や!」
しかし、蔦代は下駄で路面に落書きなどをしていて、顔を上げようとはしなかった。
「蔦や! 急いでいるんだから早くお乗り! 早く!」
紀久子にそう促されて、蔦代は仕方なく馬車へ寄ってきた。そして、彼女は顔を伏せた
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