まうことはできなかった。そして、ぴゅんという音の余韻が耳底に続き、その中で正勝の、安心していろ! という声が聞こえるのだ。いつまでもいつまでも聞こえているのだった。
 しかし、なんでもなかったことが分かると、紀久子はほっと溜息《ためいき》を一つして静かに夜具を引き被った。彼女の心臓は父親の眠りを妨げはしまいかと思うほど、激しく動悸を打っていた。彼女はぐっと胸を押さえつけて、じっと小さくなっていた。
 するとまた、戸口のほうで金属の触れ合うような音が始まった。
 紀久子は全身の神経を緊張させた。しかし、音はすぐ消えてふたたび、冴えざえしい静寂のうちに返っていった。紀久子は恐怖性錯覚を起こしやすくなっている自分の神経のことを思いながら、その半面では、だれかわたしを連れにきたのではないかしら? と思いながら、無理にも神経を鎮めようとした。
 金属の触れ合うようながつがつという音がまた続いた。夜寒の冴えざえしい空気の中に――隅々までも針の先で突くようにして――しばらく続いた。
 紀久子はまた目を開いた。薄暗い電灯、朦朧《もうろう》としている何かの影、父親のベッド、何物をも圧している自分の心臓の
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