だんす》の引出しの底からそこにありったけの紙幣を掴み出して、それを洋服のポケットに押し込みながら部屋を出ていった。
紀久子は裏庭に出て、夢遊病者のようにふらふらと周囲に気を配りながら厩舎《うまや》のほうまで歩いていったが、しかし正勝はもうどこにも見えなかった。紀久子はまた激しく胸が躍った。
厩舎は南を向いて三棟が三列になっているのであったが、その一番前の東端の一郭は牧夫たちのための合宿部屋になっていた。正勝の姿を見失った紀久子は他人目《ひとめ》を盗むようにして、その合宿部屋の前へ歩み寄っていった。合宿部屋にはしかし、正勝の入っているらしい気配はなく、重い板戸が固く閉まっていた。
「正勝《まっか》ちゃん!」
紀久子はそれでも、周囲に気を配るようにしながらも低声《こごえ》にそう呼んだ。しかし、その部屋の中からは物音の気配さえしてこなかった。紀久子はその重い板戸を見詰めて、じっとそこに立ち尽くしているより仕方がなかった。
「正勝ちゃん! 正勝ちゃん!」
紀久子はその重い板戸を軽く叩《たた》きながら、繰り返した。しかし、彼女はやはり何の気配をも受け取ることはできなかった。紀久子はもうど
前へ
次へ
全168ページ中61ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング