いるの? 呼びに行くのがいやなの? いやならいいわ、わたしが自分で行ってくるからいいわ」
紀久子はいつもの温順さにも似合わず、狂的に叫びながら髪を振り乱してベッドから飛び下りた。
「お嬢さま! ではわたしが……」
「いいわ!」
彼女は老婆を押し除《の》けるようにして、ドアのほうへ突き進んだ。
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第三章
1
沈黙が続いた。喜平は目を輝かして正勝を睨《にら》みつけ、唇を噛《か》み締め、鞭《むち》の手をぐっと正勝の身近くへ差し伸ばし、その手を微《かす》かにわなわなと顫《ふる》わしていた。そして、正勝は腕を組み、唇を噛み締めてじっと俯《うつむ》いていた。嵐《あらし》を孕《はら》める沈黙だ。いままさに、鉄砲の火蓋《ひぶた》が切って落とされようとしているような沈黙だった。
正勝はじっと俯いて、嵐のように荒れ渦巻く心のうちに、喜平の胸に向かって投げつくべく、言葉の弾丸《たま》を整えているのだった。過去の噂《うわさ》から、過去の記憶から、彼は喜平の胸に投げつくべき言葉の数々を機関銃の弾嚢帯《だんのうたい》のように繰り出していた。そして、彼は秘《ひそ》かに
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