ることなんかねえよ。蔦がいまいなくなったって、だれも蔦のことなんか気にかけやしねえ。蔦なんか、猫の子が一匹いなくなったよりももっと、なんでもない人間なんだから」
「そんなことないわ。すぐ知れるわ。そして、真っ先に調べられるのはわたしと正勝ちゃんだわ。そしたらわたし、すぐ顔色が変わってしまうわ。顔色ですぐ分かってしまうわ」
「大丈夫だ。都合のいいことに蔦の奴《やつ》がおれに書置きをしてあったんだよ。だれか、蔦のいなくなったのを不思議がる奴があったら、蔦の書置きを見せりゃあそれでいいんだ」
正勝はそう言って、一本の手紙を懐から取り出した。
「こんな風に書いてあるんだから……」
紀久子に示しながら、正勝はもう一度それを覗《のぞ》き込んだ。
兄上さま。わたしのたった一人の兄さん。わたしは悲しくてなりません。今日かぎり、しばらくはお目にかかれないのだと思いますと、わたしは悲しくてなりません。それでも、わたしは悲しいのをこらえて、東京へ出ていく決心をいたしました。わたしのたった一人の兄さんを残して、自分だけ東京へ行くのだと思うと、わたしは悲しくてなりません。それでも、いまのうちに悲しいのを
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