「しかし、あいつはなんとなく癪《しゃく》に障る奴だからなあ」
「そんなことじゃ駄目だわ。いやな奴なら、それにつけても表面ではよくしてやらないといけないのよ。わたしがあの人と話をしたり一緒に散歩したりするのは、わたしからあの人を遠ざけるためなのだから疑わないでね。わたし、正勝ちゃんの言うことなら、本当になんでも聞くのよ。しかし、あの人の言うことは決して聞かないから。表面ではいやな顔をしないでいて、そして言うことだけは聞かないつもりなの」
「考えたもんだね」
「分かったでしょう? 疑っちゃいやよ。わたしは考えて考えて、考え抜いているんだから」
「しかし、あいつの顔を見ると、何かこう癪に障るね。いやな気持ちを一掃するように、これからひとつ吾助茶屋へでも行ってくるかなあ?」
「それがいいわ。それで、お金はあるの?」
「ないんだよ」
「少しきり持ってきてないのよ」
 紀久子はそう言って微笑を含みながら、服のポケットから蟇口《がまぐち》を取り出して正勝に渡した。
「紀久ちゃん! しかし、紀久ちゃんはいつまでもお嬢さんのつもりで敬二郎なんかと一緒に遊んでいちゃ駄目だよ。間もなくもう、森谷家の奥さま
前へ 次へ
全168ページ中137ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング