》げるようにしながら言った。
「いいえ」
「どうも少しおかしい」
「妹は旦那さまばかりでなく、お嬢さまも恨んでいたようなんです。旦那さまが叱ったのは知りませんけれど、連れ戻るときわたしが馬車のお供をしていたんですが、お嬢さまは馬車の中で酷く妹を叱っていましたから。それは兄として、傍で腹が立つほどでございましたから」
正勝がまたそう説明した。
「それなら分かる。では、あなたは蔦代をそんなに叱るほど何か憎むようなことでもあったのかな?」
「いいえ! 蔦代は妹のようにかわいがっていたものですから、それが逃げたので、その場だけなんですけど急に腹が立ったものですから」
「それなら分かる。それではとにかく、本署まで一緒に行ってもらおう。そして、場合によっちゃ裁判も受けなくちゃならんかもしれんが、心配はなかろう」
「証人として、このわたしもまいったほうがいいというのでしたら?」
正勝がそう横から言った。
「一緒に行ってもらおう。それに、いろいろ証拠品も持っていかなくちゃならねえからなあ。短刀と鉄砲と……それから……」
「死骸はどうしましょうか?」
「死骸は本署から来るのを待って片づけるのが本当だが、一つの死骸は犯人がはっきりと分かっていてその犯人が死んでいるんだし、他の一つの死骸はそれを殺した人が自首しているのだから、片づけてしまっていいだろう。本署から確かに来るものなら片づけずに待っていてもいいのだが、北海道の山奥じゃそんな例はあまりないからなあ。それより、馬車なりなんなり用意して、早く出かける支度をしてくれ。今日じゅうに本署へ着けなくなるぞ」
巡査に促されて、正勝は露台へ出ていった。
「おーい! だれか早く馬車の用意をしてきてくれ。それから、旦那さまの死骸と蔦の死骸はすぐもう片づけていいそうだからなあ。おれはこれから警察へ行かなくちゃなんねえから、すぐ片づけてしまってくれ」
正勝は露台の上から、牧夫たちへ声を高くして朗らかに言った。
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第五章
1
正勝はなにも言わずに、侮蔑《ぶべつ》を含んで微笑《ほほえ》みつづけた。
(態《ざま》あったらねえ!)
微笑みの底で、彼はそう呟《つぶや》いているのだった。
「正勝くん! きみは口が利けなくなって帰ってきたのか!」
松田敬二郎はじりじりしながら叫ぶようにして言った。しかし、正勝はやはり口を開こうとはしなかった。そして、彼は鞭《むち》を振り振り不気味に微笑みながら、厩舎《うまや》の前を歩き回った。厩舎の前は泥濘《でいねい》の凸凹のまま、まったく凍ってしまった。コンクリートのように硬くなっていた。正勝は鞭を振り振り、蹄鉄《ていてつ》の跡のその硬い凸凹を蹴崩《けくず》した。その動作につれ、森谷牧場主森谷喜平の遺品の高価な鞭は陽《ひ》にきらめきながら、ぴゅうぴゅうと鳴った。
「そして、その鞭なんかだって、勝手に持ち出したりしていいのかい?」
敬二郎の言葉はしだいに辛辣《しんらつ》になっていった。
(馬鹿野郎《ばかやろう》め! 自分の足下が崩れかけているのも知らずに、偉そうなことばかり喚《わめ》き立てていやがる)
正勝はそう思いながらも、微笑を含んで黙りつづけた。
「五日も前に帰ってきているというのに、ぼくには会わないように会わないようにとしているし、せっかくここで会ったからと思って裁判の模様を訊《き》きゃあまったく口も利かず、わずか十日ばかりの間になんて変わり方だ。まったく驚いてしまうなあ!」
「驚くこたあねえさ! 変わるのはおればかりじゃねえんだ。いまにきみだって、おれ以上に変わるさ」
「おっ! 口が利けなくなって帰ってきたのかと思ったら、そういうわけでもないんだな?」
「おりゃあ、悪魔になってきた」
「悪魔に? それは面白いね」
敬二郎は侮蔑的な微笑をもって言った。
「面白いことになるだろうとも。面白くて面白くて、涙が出るほど面白いことになるだろうから、待っているといいさ」
正勝は投げ出すように言って、厩舎の前から放牧場のほうへ向けて歩きだした。
「正勝くん! きみはいま、ぼくのうえにも大変な変化があるようなことを予言したね。いったい、それはどんな意味なんだ?」
敬二郎はそう言いながら正勝の後をついていった。しかし、正勝は黙っていた。黙々として正勝は鞭を振りながら、放牧場のほうへ歩いていった。
「正勝くん! どんな意味なのかはっきりと言わなくちゃ、何のことだか分からないじゃないか?」
「いまに分かるさ」
「いまに分かるって?」
「分るまいとしたって、いまに分からずにはいられなくなるのさ」
「何をいいかげんなことばかり言っているんだ」
敬二郎は自暴自棄的に叫んだ。
「そんな風に考えてるうちが幸福なのさ。いまに、夢にもそんなことは考えられ
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