、項垂《うなだ》れながら軽く会釈した。
「いったい、どうしたというんだね? あなたのお父さんを殺しておいてから、あなたまで殺そうとしたんだね?」
 巡査はストーブに寄って椅子《いす》にかけながら訊いた。
「はい、わたしが気のついたのは、蔦代が父を殺してしまったあとだったのでございます。父の唸り声で目を覚まして、蔦代が父の胸から短刀を抜いているのをわたしが見てしまったものですから、蔦代は急にわたしまでも殺してしまおうと思ったのだと思います」
「それで、あなたはすぐ、こっちから先に殺してやるという気になったんだね?」
「いいえ! その時は、どうかして逃げようと思ったのでございます。わたしが驚いて父の寝室のほうを見ていますと、蔦代は短刀を振り上げてわたしのほうへ飛びかかってきたものですから、わたしはすぐ逃げだしたのでございます。それでも、肩のところへ蔦代の短刀を握っている手が触れて、血糊がついたのですけど、わたしはできることならどうかして逃げようと思いまして、この部屋まで逃げてきたのですけど、ここまで来てもう逃げ切れなくなったものですから、鉄砲を取って逆に蔦代を威《おど》かそうとしたのでございます。そして、わたしはその時も、別に殺そうという気持ちはなかったのですけど……」
「しかし、鉄砲に弾丸が込まっていたことは前から知っていたんだろうがなあ」
「いいえ! わたしはここにかけてある鉄砲はみんな飾物としてかけてあるので、弾丸など込まっていないように思っていたのでございます」
「また、いろいろの鉄砲があるんだなあ。ほう! 刀も……」
 巡査はそう言って、そこの壁にかけられてある鉄砲や刀のうえに目を持っていった。
「ですから、わたしは鉄砲で蔦代の胸の辺りを突いて、蔦代を威かしてやろうと思ったのでございます。それなのに……それなのに……」
 紀久子はそう言って、涙ぐんだ。
「しかし、引金は引いたんだろう?」
「わたしは引いたような気もしなかったんですけど、やはり……」
「それじゃ、正当防衛としての殺人というよりは過失としての殺人で、どっちにしてもあなたには罪がないわけだ。しかし、一応は本署の調べも受け、裁判も受けなくちゃならんかもしれんね。そしてその時には、おれとだれか、この牧場のだれかが証人というわけになるだろうと思うが、いったい、いちばん先にこの現場を目撃したのはだれかね?」
「婆や! 婆やだったんでねえか? おれが入ってきたとき、婆やはもう来ていたから」
 正勝は横から説明した。
「婆さん! おまえさんかね?」
「はあ!」
 婆やは消え入るようにして言った。
「それで、おまえさんがこの部屋へ入ってきたとき、この紀久子さんはどんな風にしていたかね?」
「わたしはなんにも分かりませなんだ。わたしは入口のところで腰を……! 腰を……! 腰がもう立たなくなってしまって……」
「腰を抜かしたというのか? しかし、腰を抜かしたのは、何か腰を抜かすほど驚くものを見たから抜かしたんだろうが、その見たものを聞きたいんだ」
「はあ、わたしはなーに、この部屋へ入ってまいりましたとき、お蔦さんを熊が腹這《はらば》ってると思ったもんですかんね」
「しかし、蔦代というのが女中とすれば、おまえさんと一緒に部屋にでも寝ていたんだろうが、起きてくるとき蔦代のいなかったことには気がつかなかったのか?」
「なーに、お蔦さんは前の日にはいなくなっていたんですかんね。そんで、鉄砲の音がしたもんですから、熊が出たのをだれかが威かしてるのだと思うて、わたしは熊だあ! 熊だあ! って叫んで旦那さ知らせに来ましたら、足下に黒いものがいますもの、熊だと思ってしまって……」
「分かった。それで、蔦代が前の日からいなかったというのはどういうわけかね?」
「それは……」
 正勝はひと足前のほうへ出た。
「蔦代はわたしの妹でして、ここに遺書がありますが、一昨日この屋敷から逃げ出したのでございますが、途中から連れ戻って帰ったのでございます。そして、連れ戻りましてからこの事件まで、どこかに隠れていて姿を見せなかったわけです」
「だいたいそれで分かった」
 巡査はそう言いながら、正勝の手から蔦代の遺書を受け取って、それにひととおり目を通した。
「これによると主人を恨んでいたようだから、連れ戻されたことを悲観して、恨みのある主人を殺して、自分も死んでしまおうと思ったのかもしれないなあ」
「連れ戻ったときに、父が酷《ひど》く叱《しか》ったのでございます。それから急に姿を隠してしまって……」
「しかし、恨んでいる者を殺して自分も死のうというときに、自分の犯行を発見されたからといってその人まで殺そうとしたのは少しおかしいなあ。あなたはその時、親の仇というようなことを思わなかったかな?」
 巡査は首を傾《かし
前へ 次へ
全42ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング