ったって熊とは決まるめえ」
「熊でも出たんじゃないと、だれもこの夜中に鉄砲など撃つ者はあんめえが……」
 彼らは暗がりの中に動きながら、周囲を見回した。
「いったい、鉄砲はいま、だれのとこにあるんだ?」
 暗がりの中には炬火が揺らめいた。
「おーい! 鉄砲を撃ったのはだれだあ?」
 犬が遠くで吠え立てている。
「鉄砲を撃ったのはどこだあ?」
「おい! 旦那《だんな》の部屋に灯《あかり》が見えるで……」
「あっ!」
「旦那かな? そんじゃ?」
 正勝が言った。
「旦那だべ!」
 炬火が夜の闇を引き裂いて走っていった。

       3

 コンクリートの露台に上がると、そこから部屋へのドアは開いたままになっていた。
「おい! ドアが開いてるぞ」
 だれかが戸口に立って叫んだ。同時に、牧夫たちはその戸口に殺到した。
「てて、て、大変《てえへん》で……」
 部屋の中から婆《ばあ》やが叫んだ。
「あっ! お嬢さまが!」
 だれかがそう叫ぶと、牧夫たちは土足のままで部屋の中に雪崩《なだ》れ込んだ。
「どうしたんだね?」
 牧夫たちはまず、鉄砲を持ってそこに呆然と立っている紀久子をその目に捉《とら》えたのだった。
「お嬢さまが、て、て、お嬢さまが、て、て……」
 婆やは顫え戦きながら吃《ども》った。そして、吃りながら婆やは、熊の皮の上に倒れている蔦代の死骸を指さした。
「あっ! 蔦代さんが……」
 牧夫たちは驚きの声で叫びながら、蔦代の死骸の上にしゃがみ込んだ。
「触っちゃいけねえ、触っちゃいけねえ。検査してもらうまで動かしちゃいけねえ」
 正勝はそこへ寄っていきながら叫んだ。
「あっ! 足跡があるど。血の足跡が……」
 牧夫の一人がそう叫ぶように言うと、牧夫たちはその足跡を辿《たど》って隣室へと雪崩れていった。正勝もそれに続いた。
「あっ!」
 彼らはそう叫んで、戸口のところに立ち止まったが、すぐに喜平の寝室へと殺到していった。
「蔦の奴《やつ》め、とうとうやりやがったな」
 正勝は唸《うな》るようにして言った。
「旦那! 旦那!」
 牧夫の一人は、喜平の死骸を抱き起こしながら叫んだ。しかし、喜平はもちろんなにも答えはしなかった。
「蔦の書置きを見て、連れ戻してきたのを後悔しているんだが、とうとうやりやがったな」
 正勝は繰り返して言った。
「蔦代さんがやったのかな?」
「蔦の奴だ。蔦の奴は、お嬢さまに手向かったに違《ちげ》えねえ。そんで、お嬢さまに鉄砲で撃ち倒されたのに違えねえ」
「蔦代さんが、また、どうして……」
「何かひどく恨んでいたらしいから。しかしまあ、こんで、仕様ねえ。夜が明けて警察から来るまで、こうしておくべ」
 正勝はそう言って、隣室へと歩きだした。牧夫たちはそれに続いた。
「お嬢さま! どう、どうなすったんです?」
 正勝は紀久子の傍へ寄りながら、目を瞠《みは》って訊《き》いた。
「蔦が……蔦が……」
 紀久子は歯の根が合わないまでに、顫えていた。
「旦那を殺したのは蔦だってこと、はっきりと分かるけれども……」
 正勝はそう言いながら紀久子の手から猟銃を取って、そこの壁に立てかけた。
「蔦が、蔦が、わたしも……」
 紀久子はようやくそれだけを言った。
「蔦があなたにも手向かったんですね」
 紀久子は微かに頷《うなず》くようにした。
「しかし、こうしていたって仕様のねえことだし、あなたが何より寒くって仕様がねえだろうから、あっちへ行って夜の明けるのを待つより仕方がねえでしょう」
 正勝はそう言って紀久子の背中に手をかけ、廊下のほうへ出た。牧夫たちは土足のままで、ぞろぞろとその後に続いた。

       4

 牧夫たちのための食堂になっているコンクリートの土間の、片隅の壁際に石と粘土とで竈《かまど》のように畳み上げられてあるストーブには、薪《まき》が幾本も幾本も投げ込まれた。そして、牧夫たちはその焚《た》き口の前に車座になって腰を据えていた。紀久子はその中央の火に近いところへ、席を空けられた。
「婆や! 婆や!」
 正勝は冷えびえしい沈黙を破った。
「婆や! お嬢さまに着物を持ってきてあげろよ」
 正勝は周囲を目探りながら叫んだが、婆やの姿はどこにも見えなかった。
「婆やは、どこかに腰を抜かしているのかもしんねえぞ」
 だれかが言った。それにつれて、初めてようやく微かな笑いが崩れた。
「仕様のねえ婆やだなあ。それじゃ、おれが行って持ってくるかな」
 正勝は身動《みじろ》ぎながら言った。
「いいわ」
 紀久子は微かに言って、止めた。
「寒くて仕様がねえでしょう?」
「我慢しているわ」
「我慢をしなくたって……」
 正勝がそう言って立ち上がろうとしたとき、廊下のほうから腰を引くようにして婆やが出てきた。
「あっ! 婆やが
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