ら」
正勝は紀久子のベッドへ近寄りながら、繰り返した。
「紀久ちゃんが寝床の中へ入ってるところへ、蔦が短刀で斬《き》りつけてくるようにするんだから、寝床の中へ入っていてくれったら」
そして、正勝はそのベッドの夜具を捲《めく》り、紀久子の胸を軽く押した。紀久子は胸を押されて、初めて意識を取り戻したようにしてベッドの中に潜り込んだ。
「紀久ちゃん! そして、おれのとおりに動いてくれ。でないと、蔦が斬りつけていくときの足の運びやなんかの具合が分かんねえから」
正勝はそう言って、ふたたび二つの死骸の傍へ戻っていった。そして、正勝は死骸にしゃがみ込んで、そこに落ちていた短刀を取り、まずそれを蔦代の掌《て》を押し開いてその中に握らせた。
死んでいる掌は筋が攣《つ》っていて、それを押し開いて握らせるのが容易でない代わり、一度握ってしまうと機械のようにその掌に固く固く支えていた。そこで、正勝は蔦代の死体を抱き起こした。抱き起こしておいて蔦代の手の甲をその上から握り、自分の力でその短刀を喜平の胸の傷口へ突き刺した。喜平の胸の血が蔦代の青白い手に、赤黒くべっとりとついた。そして、正勝はその手を胸から抜き取らせると、今度は蔦代の死体を右手に支えながら左の手で喜平の死体を半起こしにして、二つの死体を組みつかせるようにした。蔦代の死体の胸には喜平の胸の傷口の血糊《ちのり》がべっとりとつき、蔦代の手の短刀が喜平の咽喉部《いんこうぶ》に触れた。そこで正勝は、喜平の死体をベッドの上にどんと倒し、ふたたび蔦代の手の甲を握って喜平の咽喉部に短刀を突き刺した。今度は傷口へそれを突っ込むようなわけにはいかなかった。短刀はわずかに突っ立ったばかりで、柄《つか》が蔦代の掌の中から突き出た。
「紀久ちゃん! 起きてくれ。ベッドの上へ、半分ばかり身体《からだ》を起こしてくれ。いまはじめて気がついたように、身体を半分起こしてくれ」
正勝はそう言いながら、ベッドの横の血溜《ちだま》りに蔦代の足を立たして、その足を血に染めた。
「紀久ちゃん! こっちから斬りつけていくような恰好《かっこう》で紀久ちゃんのほうへ寄っていくから、おれが動けって言うまでそのままにしていてくれ」
そして、正勝は蔦代の死体をその後ろから抱き支えて、足音を忍ばせるように小刻みに足を運ばせながら右手の短刀を振りかざして、紀久子のベッドへ接近していった。
紀久子はベッドの上に上半身を起こして、顫え戦きながら眉《まゆ》を寄せていたが、正勝が蔦代の右手を振り上げて近寄るにつれ、静かに静かにベッドから滑り下りた。
「紀久ちゃん! そのままでいてくれ。蔦が短刀で斬りつけたようにするから、そこへ寄っていくまでは動かねえでいてくれ」
そして、正勝は接近していった。紀久子は眉を寄せながらも、そのままじっとしていた。紀久子のベッドへもはや三尺(約一メートル)ばかりのところで、正勝は蔦代の手の中の短刀をひと振り強く紀久子に向けて振りかざした。
「あっ!」
紀久子は低声で叫んでベッドの上からぱっと床の上に飛び下りたが、その瞬間に、短刀から飛んだ血糊は紀久子の寝巻の肩へ、牡丹《ぼたん》の花の模様のように広がった。そして、蔦代の手の余勢はベッドの夜具の上にばたりと落ちた。同時に、血糊は夜具の上にも赤黒い模様を描いた。
「紀久ちゃん! 今度は逃げてくれ!」
正勝は蔦代の手を取って振り上げさせながら、紀久子を促した。
「この部屋をひと回り逃げ回って、それから次の部屋へ逃げ込んでくれ」
正勝はそして、蔦代の死骸をその後ろから抱き、蔦代の足が床の上に印す血の足跡を踏まないように注意深く大股《おおまた》に脚を開いて、不恰好な足構えで紀久子を追い回した。
「紀久ちゃん! それくらいでもう次の部屋へ行ってくれ。そして、ついでにそこの血を少し踏んでいってくれ」
正勝はそう言って、なおも不恰好な足構えで蔦代の死骸を抱えながら、紀久子を追い回した。紀久子は言われるままに、血糊を踏みつけて鮮やかな足跡を印しながら、次の部屋の戸口のほうへ逃げていった。
「そして、次の部屋へ行ったら、鉄砲のかかっている下へ逃げていってくれ」
次の部屋の戸口にまで追い詰めておいて、正勝は立ち止まりながら言った。
「そして、鉄砲の下へ行ったらいちばん下の鉄砲を取って、それで向き直ってくれ」
正勝は、すぐにも倒れようとする蔦代の死体を必死になって抱き支えながら言った。紀久子はドアを押し開いて、次の部屋へ走り込んでいった。
「鉄砲だ! 鉄砲を取って!」
正勝は紀久子に続いて入りながら、低声に言った。
「いちばん下の?」
紀久子は初めて、そう顫える声で言いながら、猟銃を取った。
「それを蔦の胸の傷口に当てて……待てよ。その前に、大事なことを忘れている。待っ
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