の人がお父さまの前に引っ張っていかれて、お父さまからひどく叱られたら、わたしのあのことを言ってしまいやしないかしら?)
紀久子は恐怖に身を顫わした。いまの場合に正勝が父の部屋へ引っ張っていかれて叱られるということは、紀久子にとって、自分の犯罪の証人が裁判官の前へ引き出されていくのを見るよりももっと苦しかった。紀久子はできることなら、正勝をどうかして父の前へ出したくなかった。正勝の過失を引き受け、正勝の立場に代わり、なんとかして正勝を叱らせたくなかった。
(サラブレッドが怪我をしたのだって、あの人が悪いのじゃなくてわたしが悪いんだもの。わたしがあの時あそこへ出ていかなかったら、どの馬も狂奔なんかしなかったんだもの。結局、怪我をさせたのはわたしなのだわ)
紀久子のそういう気持ちは、恋をしている少女が恋人の罪を引き受けようとする気持ちにさえ似ていた。紀久子は何物に代えても、正勝がその過失の責めから免れて父から叱られずに済むようにしてやりたかった。
(言ってやるわ。お父さまに言ってやるわ。サラブレッドに怪我をさせたのはあの人ではないんだもの。わたしなんだもの。それだのにあの人を叱るなんて、お父さまこそひどいわ。正勝さんのために言ってやるわ)
紀久子はひどく昂奮《こうふん》しながら、母屋のほうへ駆けだした。
7
天井の高い四角な部屋だった。卵色の壁には大型のシェイフィルド銃と、古風な村田銃との二|梃《ちょう》の猟銃が横に架けられてあった。その下前には弾嚢帯《だんのうたい》が折釘《おれくぎ》からだらりと吊《つ》るされていた。そして、部屋の隅には黒鞘《くろざや》の長身の日本刀が立てかけてあった。床には大きな熊《くま》の皮が敷いてあった。その熊の皮を踏みつけて大書卓がガラス窓の下に据えられ、中央には楢《なら》の丸卓と腕つきの椅子が四つ置かれてあった。
「そこへかけろ!」
鞭でその楢材の腕つき椅子を示しながら、喜平は怒鳴るように言った。正勝は静かに腰を下ろした。そして、将棋の駒《こま》のように肩を角ばらせて顔を伏せた。
「正勝! てめえは浪岡を幾らぐらいする馬か、知っているか?」
喜平は書卓の前の回転椅子にどっかりと腰を据えながら言った。
「…………」
正勝は静かに首を振っただけで、なにも言わなかった。
「知らねえ? しかし、てめえだって何年となく牧場にいるんだから、安い馬か高い馬かぐらいは知っているだろう」
「それは……」
「それみろ! てめえは浪岡が高価な馬だってことを知っていて、わしへの腹癒《はらい》せにわざと怪我をさせたんだろう?」
「そんな……そんな……」
「とにかく、てめえは蔦が逃げていったのを、わしらが苛《いじ》めたからだとでも思っているんだろう! 正勝!」
喜平は鞭をしなしなと撓《たわ》めながら言った。
「…………」
正勝は顔を伏せたまま、答えなかった。
「てめえはそう思っているんだな? 思うなら勝手に思うがいいや。しかし、いくら腹癒せだからって程度があるぞ。浪岡は五百や六百の金じゃ買える馬じゃねえぞ。投げて千二、三百円、客次第で、三千円ぐらいにだって売れる馬なんだぞ。それを怪我させて……」
「でも、死んだというわけじゃねえんで、血管が切れただけなんですから」
「血管が切れただけだからいいというのか? たわけめ!」
喜平はそう言って怒鳴りながら、怒ったときの癖で鞭をまたぴゅっと打ち鳴らした。
「それも今日、買手が見に来るっていうんだぞ。怪我をしている馬に、だれが買手がつくもんか。千円、二千円となりゃあてめえなんか、一生かかったってできるかできねえか分かりゃしめえ。それを……」
「馬鹿正直に働いていたんじゃとても……」
「なにを? 馬鹿正直に働いていたんじゃ? ちぇっ! 利巧に立ち回ればできるっていうのか?」
「利巧に立ち回って悪いことでもしねえかぎり、おれだけじゃなく、だれにだって!」
「何を言ってやがるんだ。屁理窟《へりくつ》ばかりつべこべと並べやがって。いったい、てめえらはだれのお陰で育ったと思っているんだ? それも忘れやがって、わしに腹癒せがましいことができると思うのか?」
「旦那《だんな》! 旦那は少し思い違いをしているようですけど……」
「思い違い? 何が思い違いだ? てめえ、とにかくそこへ手を突いて謝れ!」
喜平は長靴の踵《かかと》で荒々しく床を蹴った。正勝は唇を噛《か》んで、じっと喜平の顔を見詰めたまま黙っていた。
「謝るのがいやなのか? 謝る理由がねえというのか? 正勝!」
喜平はもう一度、荒々しく床を蹴った。
「謝るのがいやなら出ていけ! この牧場から出て、てめえの好きなところへどこへでも行け! すぐ、いますぐ出ていけ!」
「はあ! いくらでも出ていきますがね」
「すぐ
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