を割って、ふたたびがらがらと動きだした。敬二郎は平吾と松吉とに目配せをした。そして、三人はひらりと馬に跨《またが》った。
「紀久ちゃん!」
正勝は叫びながら、茶屋の軒下を飛び出していった。
「あらっ、正勝《まっか》ちゃんも……」
紀久子は驚きの微笑を含んで、振り返った。
「おれをその横へ乗せてくれ」
正勝はそう言いながら、動いている馬車に飛び乗って紀久子と並んで腰を下ろした。そして、馬車は二人を乗せて駆けた。その後から敬二郎と松吉と平吾の三匹の馬が、蹄鉄をぽかぽか鳴らしながらついていった。
3
開墾地の人たちは急転した空気の中で、呆気《あっけ》に取られたようにして馬車を見送った。
「敬二郎の野郎は正勝さんに一緒に馬車に乗られたんで、妬《や》いているに相違ねえべぞ」
だれかが言った。
「腹が煮え繰り返るってやつだべさ」
笑いながら、まただれかが言った。
「それで、お嬢さまはどっちが好きなのかな?」
「そりゃあお嬢さまにしてみりゃあ、敬二郎さんがいいにちげえねえさ。敬二郎さんと正勝さんとじゃ、鶴《つる》と鶏とぐれえ違うじゃねえか? そりゃあ敬二郎さんのほうがいいにちげえねえ」
「でも正勝さんの話じゃ、正勝さんを好いているらしいんだがなあ。今度も敬二郎さんのほうへは音沙汰《おとさた》をしないで、正勝さんにだけ手紙を寄越したり、電報を寄越したりしたらしいんだが……」
吾助爺は目を擦《こす》りながら、ぼそぼそと言った。
「そりゃあお嬢さまにしてみれば、自分が正勝さんの妹を殺したんで、申し訳がねえように思っているんだろう。それで、正勝さんにだって悪い顔はできねえのさ」
「しかし、顔や姿は敬二郎さんのほうが立派かもしれねえが、人間の出来からいったら正勝さんのほうが上じゃねえかなあ?」
「どっちにしても、おれらのためにゃあ正勝さんだよ。いくら姿ばかり立派でも、敬二郎の野郎じゃ糞《くそ》の役にも立たねえから」
「それはそうよ」
彼らは馬車を見送りながら、話しつづけていた。
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第八章
1
空は朝から群青に染めて晴れ渡っていた。風もなく、冬枯れの牧場には空気がうらうらと陽炎《かげろう》めいていた。紀久子と敬二郎とは馬に跨《またが》って、静かに放牧場の枯草の上を歩き回っていた。
「……どうもそれだけが、ぼくには頷《うなず》かれないんだ。紀久ちゃんに限ってまさかそんな馬鹿《ばか》なことはないと思うけれど、しかし他人《ひと》の気持ちというものは、まったく分からないものだからなあ。それに、正勝の奴《やつ》が……」
敬二郎は紀久子の馬のほうへ馬を寄せながら、声を低めて静かに言うのだった。その言葉はなにかしら、哀調というようなものをさえ含んでいた。紀久子はすると、狼狽《ろうばい》してその言葉を遮った。
「それは敬さんの思い過ごしよ。わたし、正勝のことなんかなんとも思ってないわ。それは敬さんの思い過ごしなのよ。わたしがまさか、正勝をそんな風に思うはずはないじゃないの」
「それはそうだが、でも、紀久ちゃんがぼくには葉書一本寄越さないのに、正勝の奴へだけ手紙を寄越したり電報を寄越したりしていたものだから、正勝の奴は有頂天になっているんだよ」
敬二郎のその言葉の中には、どことなく怨情《えんじょう》をさえ含んできていた。
「それで、敬さんまでそんな風に思っているの?」
「別にそう思うわけではないが、ぼくにだって葉書の一枚ぐらいは寄越しても……」
「敬さん! わたしが正勝に手紙や電報を出したのは、そんなわけではないのよ。かりにそれが過失……正当防衛にもしろ、正勝のただ一人の妹を殺したのはこのわたしなんだから、わたし、正勝になんとなく済まない気がするわ。済まない気がして、正勝にはできるだけのことはしてやりたいと思うのよ。誤解されちゃ困るわ」
「別に誤解はしないがね。しかし、その済まないという気持ちはどうかすると、危険なものになりゃしないかと思うんだがね。すでにもう、正勝の奴は紀久ちゃんのその気持ちを履き違えているようだから」
「そんなことないと思うわ。そんな馬鹿なこと、決してないと思うわ。それだけは、わたしはっきりしておくわ。そして、お蔦に対する詫《わ》びの気持ちから正勝のほうへできるだけのことをしてやりたいわ」
紀久子は胸を弾ませながら言った。
「それには、やはりぼくたちが早く結婚をしてしまわなくちゃいけないね」
「そうかしら? わたしはそうは思わないわ。結婚なんか来年でも再来年でも、いつでもいいと思うわ」
「紀久ちゃんはそう思っているのか?」
敬二郎は驚きの目を瞠《みは》って言った。彼の胸は潮騒《しおざい》のように忙《せわ》しく乱れていた。彼は紀久子の顔から、いつまでも目を離すことができ
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