勝の野郎一人ぐれえなら畳んでしめえばいいんだからなあ。叩《たた》き殺して谷底へでも投げ込んでしめえば、それで片づいてしまうんだもの」
「しかし、紀久ちゃんの気持ちが最近ではぼくのほうよりも正勝くんのほうへ傾いているかもしれないのだから、紀久ちゃんが帰ってきて、正勝くんより逆にぼくのほうが追い出されるかもしれないからなあ」
「そんなら、お嬢さまの帰ってこねえうちに、いまのうちにやってしめえばいいですよ。まず試しに、何かあいつのいやがることを言いつけて、無理にでもさせるんだなあ。それで、あいつが言いつけどおりにやらねえんなら、おれたちが黙っていねえから」
「いったい、正勝の野郎は今日は何をしてるんだ? 今日は朝から見えねえじゃねえか?」
松吉が突然、思い出したようにして言った。
「今日は浪岡に乗って、放牧場のほうで鉄砲を撃って歩いていたよ」
「浪岡に乗って?」
敬二郎は驚きの表情で、訊《き》き返した。
「近ごろは正勝の野郎、浪岡にきり乗りませんよ」
「浪岡を自分の乗り馬にするつもりなのかな? 浪岡なら、乗り馬としちゃ最上の馬だからなあ。まったく、この牧場の中でももっとも値段の出ている馬だし、調教を少しつければ、それだけでもう浪岡は貴族階級の乗り馬だよ」
「それを正勝の野郎に勝手にさせておくなんて、そんな馬鹿《ばか》なことはねえ! 敬二郎さん! おれが引っ張ってくるから、あなたからぐっと差し止めなせえよ。それで、あの野郎があなたの言うことを聞かなかったら、そのときゃあおれらが黙ってねえから」
「それじゃ、とにかく差し止めてみよう」
「それじゃ、みんなは厩舎《うまや》の前へ行って、あそこで待っていてくれ。すぐ引っ張ってくるから」
平吾はそう言って長靴をぎゅっぎゅっと鳴らしながら、戸外へ出ていった。
2
平吾は栗毛《くりげ》の馬に乗って、放牧場の枯草の中を一直線に駆けていった。
正勝は浪岡に※[#「足へん+鉋のつくり」、第3水準1−92−34]《だく》を踏ませて、楡《にれ》の木のある斜面を雑木林の谷のほうへ下りてくるところだった。右手には猟銃を持って、手綱は左手で捌《さば》いていた。正勝はそして、木の枝に鳥を探りながら、平吾がすぐその近くへ行くまで知らずにいた。
「正勝《まっか》ちゃんよう!」
平吾は馬の上から声をかけた。
「平さんか?」
正勝は軽い驚きの表情で振り向いた。
「正勝ちゃんに、若旦那がちょっと用事があるそうだで」
「若旦那? 若旦那って、いったいだれのことだえ?」
正勝は頬《ほお》を膨らましながら、高圧的に言った。
「そんな皮肉なことは言うもんじゃねえよ。用事があるんだそうだから、一緒に来てくれよ」
「しかし、おれにはだれのことだか分かんねえなあ。おれらが若旦那って呼ばなきゃならねえ人間が、いまこの牧場にいるのかね。おれには分かんねえ」
「皮肉だなあ。敬二郎さんが用事があるんだってさ」
「平さん! きみはもう敬二郎を旦那にしているのかい?」
「そんなことを言ったって、仕方がないじゃないか?」
「仕方がない? 平さん! きみの親父《おやじ》は内地からはるばると、難儀をしにこんなところまで来たのかい? 子供を牧場の安日当取りにしようと思って、こんなところまで来たのかい? 荒地を他人のために開墾したのかい? そんなつもりでおれの親父について来たのじゃねえと思うがなあ」
「そんなことを言ったって、はじまらないよ」
「どうしてかね? きみの親父の開墾したところはきみの親父の土地で、同時にきみの土地なんだ。なにもその土地を敬二郎に奉って、そのうえ敬二郎を旦那として戴《いただ》かなくてもいい」
「しかし、そんなことを言ったって、開墾はおれらの親父がしたかもしれねえが、大旦那から敬二郎さんに譲られていく土地だもの、おれらが何を言ったところで……」
「そんなことはねえ。森谷の親父はおれの親父まで騙《だま》して、開墾をした人たちから開墾地をみんな取り上げて自分のものにしてしまったのだ。けれども、森谷の親父の死んでしまったいまはだれの土地でもねえのだ。いや! 開墾した人たちの土地なのだ。しかし、このままにしておけばこのまま紀久ちゃんのものになって、紀久ちゃんが敬二郎と結婚してしまえば、それこそ敬二郎のものになってしまうのだ。そこで、紀久ちゃんの手に移らねえうちに、開墾した人たちが自分の手に戻さなくちゃ! 紀久ちゃんが帰ったら、おれは紀久ちゃんに言うつもりだが、紀久ちゃんはそれが分からねえ人じゃねえんだ」
「とにかく、敬二郎さんのところへ行ってくれよ。頼むから」
「いったい、敬二郎の奴《やつ》め、おれになんの用があるんだろう。あの野郎は油断ができねえんだが……」
「なんでも、その浪岡をどこかへ売るらしいなあ」
「
前へ
次へ
全42ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング