できれば開墾場の人たちが当然自分の土地として牧場のほうから貰《もら》っていい土地ばかりは開墾場の人たちの手に返してやりたいんだ。おれの親父がそう考えていたんだから、親父の気持ちを継いで、おれの手で返してやりたいんだ」
「それは立派な考えだ。いまならもう、お嬢さんの気持ち一つでどうにでもなるんだから、お嬢さんが敬二郎さんよりゃ正勝さんのほうを好きで、正勝さんが森谷さまのお婿さんになられて、たとえ半分でも返してやったら、開墾場の人々がどんなに喜ぶか……」
「それで、おりゃあ、それだから、紀久ちゃんの気持ちをどうしても敬二郎のほうへは靡《なび》かせたくねえんだ。敬二郎の野郎に森谷の財産を奪られてしまえば、それでもう前と同じことなんだから。森谷の親父はまたそれを考えて敬二郎の野郎を婿にしようとしていたんだし」
「しかし、お嬢さまが敬二郎さんに電報を寄越さねえで正勝さんに寄越したのなら、それだけでももうお嬢さまの気持ちははっきりと分かるようだがなあ」
「卯吉爺さん! そりゃあおれにだって、見当も考えもあっての話だがなあ。いまに見てろ、この辺はまるで変わったものになるから。卯吉爺さんなどだって、いまよりはきっとよくなるから。爺さん! 一杯まあ飲め」
正勝はしだいに酔いが回ってきて、爺のほうへぐっと盃《さかずき》を突きつけながら叫ぶような高声で言うのだった。
「これはこれは……」
爺は微笑を崩して盃を受けながら、正勝を煽《あお》りだした。
「そんな風にしてくれりゃあ、村にとっちゃ神さまのようなもんだ。村の人たちのためにでも、ぜひともお婿さんになってもらいてえもんだなあ。村の人たちがよくなりゃあ、おれのほうもすぐよくなるのだし、そりゃあぜひとも……」
「紀久ちゃんの気持ちを、どうかして敬二郎の奴から裂いて……」
その時、入り口の戸が開いて、不意に敬二郎が入ってきた。正勝は急に口を噤《つぐ》んだ。そして、正勝と爺とは顔を見合わせた。
「正勝くんも来てるのか?」
敬二郎は鼻であしらうようにしながら、正勝と向き合いに、炉端の腰掛けへ腰を下ろした。
[#改ページ]
第六章
1
片隅の壁に造りつけられてある土間のストーブには、薪《まき》がぴちぴちと跳ねながら真っ赤に燃えていた。敬二郎はストーブのほうへ長靴の両足を伸ばして煙草《たばこ》をふかしながら、次の言葉を躊躇《ちゅうちょ》した。平吾と常三と松吉との三人はストーブに手をかざして、重い沈黙の中に敬二郎の言葉を待った。しかし、敬二郎は煙草を燻《くゆ》らしてはただじっと唇を噛《か》み締めるだけだった。
「とにかく、正勝の野郎は旦那《だんな》が亡くなってからってもの、生意気になってきたことだけは確かだ」
平吾が両手を擦り合わせながら、思い出したように言った。
「それなら本当だ」
松吉が顔を上げて、叫ぶように言った。
「そればかりじゃねえ、あの野郎はなにも仕事をしねえで遊んでばかりいるぞ。そして、旦那の長靴を履いたり、旦那の鞭《むち》を持ち出したり、勝手なことばかりしていやがるよ」
「正勝くんとしちゃ、それぐらいのこと、なんでもないことなんだ」
敬二郎は三人の者が正勝に反感を抱いているのを知って、急に勢いを得てきた。
「なにしろ、正勝くんは大変なことを企《たくら》んでるのだからなあ。実はそれで、きみたち三人に相談してみようと思ったわけなんだがね。しかし、これはほかの人たちにはだれにも知らせたくないことなんだ。ぼくはきみたち三人にだけ打ち明けて、ほかの人たちには絶対秘密にしておきたいと思うんだ」
敬二郎はそこまで言って、言葉を切った。そこへ婆《ばあ》やが紅茶を運んできた。紅茶を啜《すす》りながらふたたび沈黙が続きだした。
「それで、正勝の野郎はどんなことを企んでるのかね?」
しばらくしてから松吉はそう言って、煙管《きせる》に煙草を詰めた。
「正勝くんはこの森谷家の財産を、自分のものにしようとしているのだよ。他人《ひと》から聞いた話だけれど、どうもそうらしい気振りがぼくにも見えるんでね。それできみたちに相談してみるわけなんだよ」
「あの野郎なら、それぐらいのことは企みかねないなあ」
平吾が勢い込んで言った。
「それで、きみたちはどう思うかね」
「どうもこうもねえことじゃありませんがなあ。正勝の野郎をいまのうちに、この牧場から追い出してしめえばいいんですよ。だれがなんと言ったって、いまのところあなたはこの牧場の主人《あるじ》なのだから、あなたがあの野郎を追い出す分にゃあだれも文句はねえはずだ」
「しかし、追い出すといっても、簡単に出ていく男じゃないからなあ」
「あなたがびしびしとやりゃあ、そんなことなんでもねえじゃありませんか。造作のねえことですよ。面倒なときゃあ、正
前へ
次へ
全42ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング