二郎は目を瞠りながら言った。
(正勝の奴へ? 正勝の奴へいったい、どこから電報など来るところがあるのだろう?)
 敬二郎の軽い驚きの中には、嫉妬《しっと》の気持ちさえ加わってきていた。
「正勝さんへ来たんですがね」
 電報配達夫は、それでも小さな赤革の鞄《かばん》の中から電報を取り出した。
「だれのでもいい、貰《もら》っておこう。正勝は放牧場のほうへ行っているから」
「それでは、あなたから渡してくださいね。頼みますよ」
 電報配達夫はそう言って敬二郎の手に電報を渡してしまうと、すぐまた自転車に跨《またが》って凸凹の道を帰っていった。敬二郎は電報を手にして、じっと電報配達夫の後姿を見送った。電報配達夫は間もなく放牧場の外周を繞《めぐ》っている高い土手の陰に消えた。敬二郎はそこで、放牧場の中に正勝の姿を探した。しかし、正勝はどこにも見えなかった。
 敬二郎は厩舎《きゅうしゃ》の中へ引き返した。そして、彼は激しく躍る胸をじっと抑えるようにして、その電報を開いた。
(=ムザイニケツテイ 三四カウチニカエル キクコ=)
 電報にはそうあった。
 敬二郎の心臓は裂けるほど激しく、湯のような重い熱を伴って弾みだした。同時に、彼はその電文を疑わずにはいられなかった。彼は厩舎の戸口へ行って、明るい外光に宛名《あてな》をかざした。
(=ヒガシハラ モリタニボクジヨウナイ タカオカマサカツ=)
 瞬間、敬二郎の耳は汽笛のように鼓膜を刺して鳴りだした。同時に、激しい苦痛が心臓に食いついてきた。頭の中を火の車のようなものが、慌ただしく回転した。
(彼女は心変わりがしたのだ。正勝の奴に騙《だま》されて、彼女は急に心変わりがしたのだ)
 敬二郎は火を吐くような息をして、心の中に呟いた。
(正勝の奴がいるからなのだ。正勝の奴さえいなければ、彼女の気持ちがこんなに急に変わるわけはないのだ)
 敬二郎は電報を洋服のポケットに突っ込んで、厩舎の中からぴゅうっと飛び出した。そして、彼は自分の部屋に入っていった。部屋に入ると、彼は壁にかけてある猟銃を引っ掴《つか》んだ。そして、すぐまた戸外へ飛び出していった。
(正勝の奴を、どんなことがあっても怒らしちゃいけない。あいつの機嫌をとっておいて、あいつが油断をしているとき……)
 敬二郎は気を静めながら、放牧場のほうへ駆けだしていった。しかし、正勝の姿は放牧場のどこにも見えなかった。
「開墾場のほうへ行ったのかな?」
 敬二郎はそう考えて、四角なコンクリートの正門から道路のほうへ出ていった。ちょうどそこへ、正勝が急ぎ足に寄ってきた。しかし、正勝は敬二郎の姿を見ると急に立ち止まった。
「敬二郎くん! 何を昂奮《こうふん》しているんだえ?」
 正勝は目を瞠って言った。
「熊《くま》が出たんだよ。楡《にれ》の木の上の林から放牧場のほうへ、のそのそと出てくるのがはっきりと見えたんだ。一緒に行ってくれないかね」
 敬二郎は胸を弾ませながら言った。
「熊が? それじゃ、おれたちばかりでなく、大勢で行こう」
「ぼくときみだけで沢山だよ」
「それより、きみはおれの電報を預かってるはずだな? いまそこで配達夫がそう言っていたが……」
「熊が出たんで、電報のことなんか忘れてしまっていた」
 敬二郎は狼狽《ろうばい》しながら電報を取り出した。
「紀久ちゃんからだろう?」
 正勝はそう言って、すぐその電報を広げた。
「おっ! 無罪に決定! 無罪に決定! 無罪ということにいよいよ決定したんだ。無罪に決定! 無罪に決定! 無罪に……」
 正勝はそう叫びながら、電報をひらひらと振り、急に踊りだした。
「正勝くん! 何がそんなに嬉《うれ》しいんだえ?」
 敬二郎は侮蔑的な微笑をもって言った。
「当然のことじゃないか! 紀久ちゃんが無罪に決定して、三、四日うちには帰ってくるんだもの。ほっ! 無罪に決定! 無罪に決定!」
「正勝くん! きみは紀久ちゃんが無罪に決定したのが、そんなに嬉しいのか? 自分の妹を殺した女が無罪に決定したって、何が嬉しいのかぼくには分からないなあ」
「おれにとって嬉しいこたあ、いまとなってみればきみにとっちゃ悲しいことさ」
「何を言っているんだ! きみは妹をかわいそうだとは思わないのか? 自分の妹を殺した女がたとえ幾月にもしろ、刑務所に……」
「余計なお世話だよ。蔦と紀久ちゃんとを一緒にされるもんか。紀久ちゃんのためなら、蔦なんか百人殺されたっていいんだ。紀久ちゃんとおれとがどんな風にして育ってきたか、それを考えてみろ。それから、この牧場が出来上がるまでおれの親父《おやじ》がどんなに難儀したか、それを考えてみろ! おれの親父は言ってみれば、この牧場のために死んだんだぞ」
「そのことと、紀久ちゃんが無罪になったということと、どう関係があ
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