しきづつ》みを抱えていた。そして、少女は何かに追い立てられているように、急いでいた。
「あら! 蔦《つた》やじゃないかしら?」
紀久子は立ち上がるようにして言った。敬二郎も顔を上げた。しかし、正勝はなんらの感動をも受けてはいないもののようにして、馬を追い進めた。
「ほいやっ!」
鞭が玻璃色の空気の中にぴゅっと鳴った。
「正勝! 蔦やじゃない?」
「さあ?」
正勝は簡単に片づけた。彼は自分の妹について、ほとんど無関心のような態度を見せた。
「正勝! おまえは呑気《のんき》ね。自分の妹じゃないの? 正勝!」
「妹かしれませんが、しかしおれの知ったことじゃないです」
「正勝! おまえはこのごろ少し変ね?」
そのとたんに、少女はくるりと背後を振り返った。
敬二郎が言った。
「蔦代《つたよ》だ」
「蔦やだわ。どこへ行く気なのかしら? あの子は……」
馬車はそのうちにもしだいに近く、蔦代の背後に接近していった。蔦代は狼狽《ろうばい》の物腰を見せて、後ろを振り返り振り返り早足に急いだ。
しかし、馬車がいよいよ彼女の後ろに接近してその横を通り過ぎようとしても、正勝は馬車を停《と》めようとはしなかった。
「正勝! 馬車をお停めよ! おまえはずいぶんと薄情なのね、自分の妹が一人で歩いているのに……」
紀久子は冷厳な態度で言った。正勝は無言だった。彼は黙々として馬車を停めただけだった。
「蔦や! おまえはどこへ行くの?」
紀久子は馬車の上から声をかけた。
しかし、蔦代は路傍に馬車を避け、顔を伏せたまま答えようとはしなかった。
「蔦や! どこへ行く気なのよ? え?」
紀久子は繰り返した。しかし、蔦代は依然として顔を伏せたままだった。
「言わないんなら言わなくてもいいわ。おまえ、どこかへ逃げていくつもりなのね、蔦や!」
「とにかく、どこへ行くにしても馬車へ乗せたらどうです」
敬二郎が傍《そば》から言った。
「蔦や? おまえ、どこかへ行く気なら行ってもいいわ。とにかく、わたしたち停車場まで行くんだから、一緒に馬車へお乗り。おまえ停車場へ行くんだろう? 蔦や!」
しかし、蔦代は下駄で路面に落書きなどをしていて、顔を上げようとはしなかった。
「蔦や! 急いでいるんだから早くお乗り! 早く!」
紀久子にそう促されて、蔦代は仕方なく馬車へ寄ってきた。そして、彼女は顔を伏せた
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