負わされた苦悶《くもん》の何倍かの苦悶を、何倍かの深刻さであいつに突っ返してやるんだ)
 正勝の思いはしだいに悪魔的になってきた。彼の敬二郎と紀久子とに対する遣《や》る瀬《せ》ないような復讐心は、復讐のことを考えるだけでも幾分は慰められるのだった。彼は馬の歩むに委《まか》せて、その考えのうちに没頭した。
(しかし、紀久子だってただ簡単に鉄砲で撃ち殺したのでは面白くない。敬二郎よりもだいいち、あの女を苦しめてやらなければならないのだ。何もかも、あの女から出発していることなのだから……)
 彼はそう考えて、その脳髄の隅に新たな積極的な復讐の手段を探った。
(そうだ! 谷底を目がけて馬車をひっくり返すことだ。そうだ! おれは馭者台から飛び降りておいて、馬車を谷底へ追い込んでやることだ。馬が谷を目がけて駆け下りなかったら、馬を押し落としてでもあいつらごと馬車をひっくり返してやるんだ。それだけでは万一に死ななかったにしても、谷から這《は》い上がってくるまでには熊のために食い殺されるに相違ないから……)
 しかし、馬車はもう谷の上を過ぎて、道の両側にはふたたび原生樹林が続いていた。
(なぜこの手段をもっと早く思いつかなかったのだろう?)
 彼はそう心のうちに呟いて、馬車がすでに谷の上を過ぎていることを残念がった。
(帰り道だ! 帰り道で女のほうだけでも……)
 彼はそう考えて、沼のような落ち着きを装いながら馬車を追い進めた。

       3

 原生闊葉樹林帯を抜けると、馬車は植林|落葉松《からまつ》帯の中を通り、開墾地帯に出ていった。道はようやく平坦《へいたん》になってきた。馬車は軽やかに走った。
 午後の陽は畑地一面に玻璃色《はりいろ》の光を撒《ま》いていた。どこまでもどこまでも黄褐色の大豆畑が続き、その茎や莢《さや》についている微毛《のげ》が陰影につれてきらきらと畑一面に蜘蛛《くも》の巣が張っているように光っていた。そして、ところどころには玉蜀黍《とうもろこし》がその枯葉をがさがさと摺《す》り合わせていたりした。
 しばらくして、馬車の前方に一人の人影が見えだした。馬車の進むにつれしだいに大きく、しだいに形を整えて、その後姿が接近してきた。赤い帯、頭のてっぺんに載っている桃割れ。錆茶《さびちゃ》の塗下駄《ぬりげた》。十六、七の少女だった。少女はその小脇に風呂敷包《ふろ
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