紀久子は唇を噛みながらドアにがちゃりと錠を下ろした。
 紀久子はそして、すぐ敬二郎の死骸《しがい》のある部屋へ飛んでいった。真っ赤に燃えているストーブ。血溜りの中に倒れている死骸。真っ青な死の手に握られているピストル。紀久子は死骸に駆け寄って、その死骸の上へ自分の身体をどっと投げかけた。
「敬さん! 許して。許して。わたしを許してね」
 紀久子は、息詰まるような遣《や》る瀬《せ》のない調子で言った。
「敬さん! わたしが悪かったのだわ。わたしが悪かったのだわ。許してね。わたしもいますぐ、すぐもうあなたのところへ行きますわ。わたしの本当の心をお目にかけますわ。敬さん! 許してね」
 紀久子の声はしだいに啜《すす》り泣きになってきた。
「敬さん! わたしの本当の心が、すぐもうお目にかけられますわ。待っててね。わたし、これからあなたの遺言を実行していくわ。正勝になど、あの悪魔になど、塵《ちり》一つだって与えませんわ。あなたのお言葉どおり、みんなみんな、父が事業を始めるときに移住してきた人たちへ、何もかも分けてやりますわ。わたしも手紙にそのことを書き残しておきましょう。そして、わたしももうすぐあなたのところへ行きますわ」
 紀久子は啜り泣きながら言って、静かに身体を起こした。そして、紀久子は咽んで肩の辺りに波打たせながら、傍らの小卓の前に坐《すわ》り直した。卓の上には、敬二郎の使い残しの紙と万年筆とがあった。紀久子は万年筆を取って、鶏が餌《え》を拾うように首を動かしながら、啜り泣きながら、涙に曇ってくる目を幾度も幾度も押し拭《ぬぐ》いながら、一字一字を植え付けるようにして手紙を書いた。
 書き終わると、紀久子はその手紙を敬二郎の遺書と一緒に重ねて畳んで、ふたたび帯の間に差し挟んだ。
「敬さん!」
 紀久子はふたたび、敬二郎の死骸の上にどっと身体を投げかけた。
「敬さん! 許してね。わたしもうすぐあなたのところへ行くわ」
 紀久子はそして、敬二郎の死骸に顔を押し付け、その手を固く握った。紀久子はふと、敬二郎の手に握られているピストルに気がついた。紀久子はそれを取ってしばらくじっと見詰めてから、なおもそこに弾丸《たま》の残っていることを確かめると、唇を噛み締めながらそのピストルを自分の帯の間に差し込んだ。
 紀久子はそして、ある決心の表情を浮かべながら決然として部屋を出ていった
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