そんな風に言ったきりであった。
吉本はそこで、彼女の行方を捜しだしたのであった。永峯が自分を裏切ってどこかへ行ってしまった以上、雅子のうえに自分の愛情をどんなに進めようと差し支えはないのだと考えたから――。しかし、いよいよ彼女の住んでいる家を捜し当ててみると、そこに永峯の表札がかかっていたのであった。
吉本はそれを見届けておいただけで、彼らの平和と幸福とを掻き乱すようなことはしなかったが、鉄管工場のほうを追い出されてみると、やはり秋川と永峯のところよりほかには訪ねていくところもなかった。
5
青い芝の丘に張り出されているバルコニーの上で、藤棚《ふじだな》の緑を頬《ほお》に染ませながら雅子は毛糸の編物をしていた。
「雅子さん!」
吉本は庭から声をかけた。彼女はひどく驚いて、怪訝そうに彼のほうを見た。
「ぼくです。吉本です」
「あらっ! 吉本さん。よくおいでくださいましたわ」
しかし、彼女は微笑みながら赧くなった。
「ずいぶんあちこちを捜して、ようやく分かったんですよ。だいいち、転居通知をくれないなんてひどいやあ」
「ほんとに……ご免なさい。どなたにもあげなかったのですから……ほんとに、よくおいでくださいましたわ。どうぞお上がりくださいな」
「永峯は?」
「今日は土曜日ですから、じき帰りますわ。まあ、お上がりになって、ゆっくり遊んでいってください」
「ぼくに水を一杯ください」
吉本はそこのコンクリートで畳まれた階段を上がりながら、喘《あえ》ぐようにして言った。
「いま、お茶を持ってこさせますわ。まあ、ここへおかけになって……」
「実はぼく、四、五十日ほど前に、ここの家を捜して来たことがあったんですよ。本当は、ぼくは雅子さんを捜しに来たんだけど、偶然のこと、永峯の居場所まで分かって、驚いて帰ったんですよ」
吉本は与えられた椅子《いす》に腰を下ろしながら、そんなことを言った。
「その時遊んでいってくださればよかったんですのに……」
彼女はまた顔を赧くしながら言った。
「でも、幸福そうだったからな。あのころは、ぼくが顔を出すのは幸福な小鳥の巣を鷹《たか》が覗《のぞ》くようなもんだと思って、そのまま黙って帰ってしまったんですが、そのお陰でぼくはすっかり神経衰弱になってしまったんですよ」
「兄から聞きましたわ。それをお聞きして、わたし、どうしていいか分からない気がいたしましたの。みんなわたしから起こっていることなんですから」
彼女はそして、彼の顔をまともに見ないように自分の膝《ひざ》の上に目を落とした。
「雅子さん! あなたは幸福なんですか?」
吉本は突然、思い出したようにしてそんなことを訊いた。
「さあ、どう言ったらいいんでしょう? 兄からそのことをお聞きするまでは、まあ、幸福だったかもしれません。でも、吉本さんのことをお聞きしてからは、わたし、なんだか幸福でなくなりましたわ。みんなわたしから起こったんだと思うと、どうしても幸福な気持ちにはなれませんの」
「永峯はいったい、ぼくのことをどう思っているんでしょうね?」
「永峯も、吉本さんのことはたいへん気の毒がっているんですわ。そして、永峯もやはり、自分から起こったことだと思っているんですの。自分が裏切らなかったら、吉本さんはどうもなかったように思ってるんですから……」
「じゃ、永峯はぼくが雅子さんを愛していたのを、知らなかったのかしら?」
「知ってはいたんでしょう。でも、自分のほうが吉本さんよりももっともっと……」
「それはだれだってそう思うだろうけれど……それで、雅子さんもそう思っていたんですか?」
「最近まではね。でも、わたしには分からなくなってきましたわ。永峯と吉本さんと、立場を置き替えたら、あるいは永峯のほうが吉本さんのように神経衰弱になっていたかもしれませんし、わたしには分からなくなってきましたわ」
彼女はそのまま口を噤《つぐ》んでしまった。二人の間には深い沈黙が落ちてきた。
6
永峯はそれから間もなく帰ってきた。最近|丸《まる》ノ内《うち》辺りの会社に勤めだしたらしい。彼は白麻の背広をかなぐりすてながら、慌て気味にバルコニーへ出てきた。
「吉本! やあ!」
「やあ!」
「ぼくはきみに合わせる顔がなかったんだ。よく来てくれたね」
永峯はひどく昂奮《こうふん》して吉本の手を握った。
「本当によく来てくれたね。ぼくはきみが怒っているかと思って……」
「怒ってやしないがね。……きみはまた、すっかりプチブルになってしまったじゃないか?」
べつだんに詰責するらしい様子もなく、吉本は微笑を含みながら言うのであったが、永峯にはなにかしら鑢《やすり》にかけられるようなものが身内を走る感じだった。
「それだけは許してくれ。ぼくは本当に
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