街頭の偽映鏡
佐左木俊郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)偽映鏡《ぎえいきょう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)最近|丸《まる》ノ内《うち》辺りの
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 偽映鏡《ぎえいきょう》が舗道に向かって、街頭の風景をおそろしく誇張していた。
 青白い顔の若い男が三、四人の者に、青い作業服の腕を掴《つか》まれて立っていた。その傍《そば》で、商人風の背の小さな男が鼻血を拭《ぬぐ》ってもらっていた。
「喧嘩《けんか》か?」
 その周囲に人々が集まりだした。
「何かあったんですか?」
 偽映鏡の中に、無数の顔が歪《ゆが》みだした。
「喧嘩したんですね」
「いや! 気が変らしいんですよ」
「あの髪の長い男がですか?」
 青白い顔の男はおりおり、長い頭髪をふさふさと振り立てていた。そして、周りの人たちを睨《にら》むような目で見た。
「どうしたんだ? どうしたんだ?」
 巡査が群衆を掻《か》き分けてそこへ入ってきた。続いて、二人の男が汗を拭《ふ》きながら群衆の前に出た。
「喧嘩ではないんだな?」
 巡査は自分の後ろについてきた男を見返りながら言った。
「ええ、なにも言わずに、突然がーんと殴りつけたんです」
「きみはどうしてそんな乱暴をするんだね?」
 巡査は青白い顔の男の肩に手を置きながら、怒ったような顔をして言った。男はなにも言わずに巡査の顔を見詰めていた。
「気が変らしいんですよ。どうも……」
 だれかが傍から言った。
 青白い顔の男はただときどき、静かに頭を振るだけであった。そして、怪訝《けげん》そうな目で周りの群衆を眺め回すだけであった。
「気が変になったにしても、なにかきっかけというものがあったろう?」
 巡査は鼻を押さえて、仰向《あおむ》きになっている男の傍へ寄っていった。
「それはそうですが、やっぱり気が変らしいんですね。わたしはそこの店に坐《すわ》っていて、よく見ていたんですが……」
 こう言って、偽映鏡の前から焼栗屋《やきぐりや》の主人が巡査の前へ出ていった。
「どっちから来たのか、わたしの気がついたのはそこの鏡の前に立っているときなんですが、その時はちっとも変わった様子がなかったんです。それが……」
「この若者は毎朝出がけに、わたしのところで煙草《たばこ》を買っていくんですがね」
 三、四軒先
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