ていった感情をもっとも濃《こま》やかに鮮明に受け取っておいたのは雅子であった。そういう意味で、雅子はもっとも哀《かな》しい恨みの中にあった。そして、雅子はあの時に吉本が最後に言った言葉をよく思い出した。
「自分のいちばんに愛していた人間が、自分の目の前で殺されるのを見詰めているなんて、そしてどうにも応援のしようがないなんて、実際こんなたまらない気持ちはない!」
雅子はその言葉を、あの時は出任せの言葉として、しかも反語的な皮肉な言葉として、ただわけもなく踏みにじってしまったのであったが、いまにして思えば、雅子は胸を抉《えぐ》られるような真理をその中に感じた。そして、雅子はそれを吉本が自分に投げつけた皮肉な反語としてではなしに、吉本の胸の底から湧《わ》いてきた血の通っている言葉として受け取ることができるような気がした。吉本の、いちばんに愛していた女が雅子であり、いちばん愛していた男が永峯であったということを、彼女は充分|頷《うなず》くことができるのであったから。
永峯がその死に際に、自分のうえに残していったいろいろの感情を、雅子はおりおり自分の胸に掻き立てて吉本を憎み恨み、復讐《ふくしゅう》を企ててみることさえあった。その復讐の対象者が病院の中で廃りかけていることをふと思い出しては、惨めな哀しみのどん底へ突さ落とされてしまうのであった。そして、彼女を悲惨な感情のどん底に突き落とすものはただそればかりではなかった。彼女が生まれた家の家柄であり、彼女の属している階級の伝統であった。
雅子の実家の家柄は、親の意志の加わらない結婚をした者がその結婚を機縁としてどんなに不幸な環境に陥っていこうと、もはやそれは許すべきでないという掟《おきて》の尾をいまだに引いている。彼女はその伝統的な古い尾の中で、自分の生活を自分で支えていかねばならないような立場に置かれていた。そして、彼女の属している階級は一度結婚をした女性がその夫を失ったのちに、再婚によって幸福を得るというようなことはほとんど絶無と言ってもいいような習わしの中に横たわっていた。――雅子は幸福を失ってしまっていた。彼女の前途には、彼女の見渡すかぎり黒い幕が重々しく垂れていた。彼女はそれを見詰めながら、自分自身の苦悩に疲れ切って溜息を吐《つ》くのが常であった。
死んでいった者はそれでいい!――彼女のしばしば呟《つぶや》くこ
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