う?」
 婆さんは罵倒《ばとう》を始めた。すると、間もなく彼が帰って来た。
「どこへ行っているんですね? 一緒に来いって言うから、こうして一緒に来ると、どこへ行っているんだか、いつまで経ったっても帰って来やしないんだもの、全く呆れてしまう。」
 婆さんは続けた。
「いや、どうもすみません。ちょっと出なければならない用事があったもんだから、一人で来たんじゃ、誰もいないところで待っているのが大変だろうと思って……」
「なんてことだね。馬鹿馬鹿しい。じゃ、留守をさせられたわけね。自分の家を空《から》にして置いて、他人《ひと》の家の留守だなんて、馬鹿馬鹿しいにも程があるよ。――じゃ、別に用事はないんだね?」
「あ、別に……」
「ああ、本当に、馬鹿見たよ。」
 婆さんは喚《わめ》きながら帰って行った。彼は房枝の傍《そば》へどっかりと坐った。

     五

 房枝は自分の家に帰って肌を脱いで休んでいた。そこへ婆さんが喚《わめ》きながら飛び込んで来た。婆さんは額《ひたい》に青筋を立てて興奮していた。
「房ちゃん! 房ちゃん! 帰ったかね?」
「あら! 小母さん。さあ、おあがりになって。本当にお世話さまで御座いますよ。近頃は。」
 病気で寝ていた房枝の母親が玄関|傍《わき》の三畳から出て応待した。併し婆さんはそれどころでないという様子だった。
「私んとこではまあ、大へんなことになったんですよ。私が、房ちゃんに従《つ》いて行って、ちょっと留守にしたばかりに、全く飛んでもないことになったんですよ。ほんとに、ほんとに……」
「どうしたの? 小母さん!」
 房枝は帯を締めながら玄関の方へ出て行った。
「全く、こんな馬鹿なことってあるもんかね。自分の家を空にして置いて、他人《ひと》の家の留守をしてさ。それで泥棒に這入《はい》られるのも知らずにいるなんて……」
「泥棒が這入ったんですか?」
「泥棒が這入ったの? 小母さん。」
「なんか知らないけど、ちょっとあけて置く間に、長火鉢の下へ隠して置いたお金を、房ちゃんをお世話してもらった分を、みんな持って行ってしまったんですよ。」
「あら! そうですか。それはそれは……」
「房ちゃんと一緒に行きさえしなければ、なんでもなかったのに、本当に困ってしまう。あの人も私が出れば、私の家が空になるってことを知っているくせして、私に、自分の家の留守をさせるなんて……」
「本当だわ。あんまりだわ。」
「私は、埋め合わせをしてもらわなくちゃ。言って見れば、あの人と、房ちゃんのためなんだから、房ちゃんとあの人とに。埋め合わせてもらわなくちゃ……」
「わたしにも? 小母さん!」
「だって、房ちゃんなんか、半日も働きに行きゃあ、きっと五円にはなるんだもの、それぐらいのことはしてくれたって、いいじゃないかね? 私が好きで房ちゃんに従《つ》いて行ったわけでもあるまいし、それぐらいのことをしてもらわなくちゃ、全く、こっちが立ち行かなくなってしまうんだもの……」
 婆さんは玄関で立ったまま喚《わめ》き続けた。

     六

 房枝が今日は小母さんの家の玄関の方から這入って来た。
「小母さん! あのお婆さんのところで、泥棒に這入られたんですって。」
「泥棒に?」
 小母さんも流石《さすが》に眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》るようにした。
「わたし、あの人じゃないかと思うんだけど……」
「あの人って? ――あ、あの人か。そうだね。そうかも知れないよ。屹度《きっと》あの人だよ。――あの人のことだもの、少し余計に取られ過ぎたと思えば、それぐらいのことは、やりかねないから。」
「どうもそうらしいのよ。」
「――それが、あのお婆さんを自分の家に呼んで置いて、その留守の間にやったらしいのよ。自分が帰るまでは、お婆さんが自分の家に待っていると思えば、いくらでも念入りに探せるわね。全く、あきれてしまうわ。」
「でも、そこまで考えてやるなんて、なかなか偉いもんだね。やっぱり、あの人でなければ出来ない芸当だよ。」
「厭な小母さん! 厭に感心するのね。」
 房枝は微笑《ほほえ》みながら吐き出すように言って、裏口へと部屋の中を横切った。

     七

 房枝は初めて彼の職業を判然《はっきり》と知ることが出来た。彼女は新しい驚きをもって彼の顔を見直すようにした。その手には、あの婆さんのところから取り戻して来たという二枚の紙幣が掴まされていた。
「――変に思うかも知れないが、ようく考えて御覧。おまえだって、好きでこういうことをやっているのじゃあるまい。それをしなければ、母親は病気をしているし、おまえより働くものがいないし、食って行けないから、仕方なくやるのだろう? それを横から、働かないものが、働いたものの倍も横取りするって法は無いんだ
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング