だったら、すぐ(いつかまた呼んで下さいね。そして今度は直接にして下さい。私のところはここですから……)って、頼んで置いたら、先方でだって、かえってその方を欣《よろこ》ぶかも知れないしね。」
「それはいいわね。小母さん! あの人もそんなことを言ってたわよ。これからは直接にしようかって……」
「あの人は、とても物事のわかっている人なんだもの。あの人は泥棒はしても、ちゃんと理屈に合った泥棒をしているんだよ。――つまり、あの人に言わせると、金持ちなんて者は、貧乏人が、あくせくして働いたお金を掻《か》き蒐《あつ》めて金持ちになっているのだから、言って見れば泥棒のようなもんで、その泥棒の上前《うわまえ》を刎《は》ねて来て、最も困ってる貧乏な人達にわけてやるのだったら、たとえ泥棒とは言え、何も悪いことは無いじゃないかっていうのさ。――立派なもんじゃないの? 宅《うち》なんかでも、困って少しお金を借りて、そのままもらってしまったことがあるけど……」
「悪くないわね。それなら。――じゃ、小母さん、わたし帰るわ。」
「また籠抜けかい? 店屋《みせや》なんかでだと嫌うらしいけど、宅なんかじゃ構わないから、なんなら、行くときにも、宅へ来て、宅の裏から出て行ったらよかない?」
「そうね。それがいいわね。今度そうさせてもらうわ。」
 房枝はまた赤い緒の下駄を手にしてその部屋の中を横切った。

     四

 煉瓦の塀に沿うて泥溝《どろどぶ》の流れが淀んでいた。鼠色の水底を白い雲のようなものが静かに潜《くぐ》って行く。そして水面には襤褓《ぼろ》切れや木片などが黒くなってところどころに浮いていた。その間からアセチリン瓦斯《がす》がぶくぶくと泡を噴いた。泡は真夏の烈しい陽光《ひかり》の中できらきらと光ったりしては消えた。煉瓦塀の中の工場から流れ出したアンモニアの臭気がその泥溝《どろどぶ》の上へいっぱいに拡がり漂っていた。泥溝の複雑な臭気の中から特にも激しく。――房枝は二階の窓からいつまでもその泥溝の流れを見おろしていた。
「本当にどうしたんだろうね? どこへ行っているんだろう?」
 婆さんは言った。婆さんは退屈になって来たのだ。房枝は泥溝を見おろし続けていた。
「一緒に来いって言うから、こうして来ると、どこへ行っているんだか、まるで帰って来やしないじゃないか。いったい、何時間待たせるつもりなんだろ
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング