かし、またそれだけに、前田弥平氏の魔術が案外うまく成功するかもしれなかった。――咲いている花を蕾として認めさせようという、彼の魔術、彼の奇術。

       3

 その時代の世相をもっとも敏感に受け取るのは青年である。無意識のうちに、彼はその敏感な全神経でその時代の世相を受け取っている。
 賢三郎《けんざぶろう》は養父のその計画を、秘《ひそ》かに笑っていた。いまの時代の空気の中に息づいている職工たちがお花見ぐらいの饗応《きょうおう》で、決してその要求を枉《ま》げるものでないことを彼は知っているのだった。そして、彼は養父の態度に対して反感をさえ抱いていた。
 賢三郎は、前田弥平氏の長女|弥生子《やよいこ》と婚約をしたころの賢三郎ではなくなっていた。婚約当時の賢三郎といまの賢三郎とは、全然別個の人間であった。彼はそして、弥生子との婚約を悔いてさえいた。弥生子を嫌っているのではなかった。弥生子の全生活を包んでいる空気を嫌っているのだった。それはもはや、好き嫌いの程度ではなく、彼の全人格を揺り動かして生まれた感覚であった。彼は彼の全人格をもって弥生子を嫌い、弥生子を包んでいる空気を否定して
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