連れてきていた。しかし、彼自身は背広の首に花見の手拭《てぬぐ》いを一本結んでいるだけで、仮装はしていなかった。したがって、そこへ集まってくる職工たちの目には、自分の同志のだれが来ているのかは分からないが、工場主前田弥平の来ていることだけはすぐ分かった。
 仮装の職工たちはそこへ集まってくると、まず工場主のところへ行ってお辞儀をした。前田弥平は鷹揚《おうよう》な微笑でそれを受けていた。職工たちはもしその同一の仮装をしていなかったら、こんな場合、彼の前に行ってお辞儀をするようなことはなかったかもしれない。しかし、同一の仮装のため、もはやだれがだれであるか全然分からなくなっているのだった。そのことが彼らをして、何の懸念もなく工場主に対してお辞儀をさせたのだった。
 前田弥平は豪胆な一面を持っている男だった。仮装の職工たちからそうしたお辞儀を受けるために、自分だけが仮装せずにいるのがすでに彼の豪胆を語っているといってもよかった。彼はそして、職工たちが個人として自分に対する場合、自分に対してどれだけの好意を持っているかを見ようとして、この同一仮装の人間を作り上げたのかもしれなかった。職工側のほう
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