まいなり》の祠《ほこら》があった。秋は黄褐色、冬は灰鼠の色に、春先は暗紫色になり、そして春の終わりから夏の終わりまでは一色の緑を刷《は》く雑木林の丘だった。雑木林のその単調な色彩に模様づけている若い杉杜《すぎもり》の中に、その白木の祠は見え隠れていた。祠の背後には三本の榎と二本の鼠梨《けんぽなし》の大木が若い杉杜の中に伐り残されていた。前には榊や椿や山黄楊《いぬつげ》などが植えられてあった。鳥より他には声を立てるもののないような、その寂寥《ひっそり》とした森の中から、祠は一目に農耕の部落《むら》を俯瞰《ふかん》していた。
 祠守《ほこらも》りは田舎医者の細君だった。
 最初、夫の病中に彼女は夢を見たのだった。――丘の雑木林の中に一本の大きな椿があり、その下に泉がある。その椿を神体として三週間の礼拝を続け、泉の水を飲んで病夫に呑ませるなら、夫の病気は忽《たちま》ちに癒《なお》るであろう。――という竹駒稲荷大明神の夢枕なのだった。彼女はその夢枕の言葉に従った。不思議に夫の病気は、一枚一枚病皮を剥《は》ぎ取るかのように癒って行った。彼女は早速、その場所に、その椿を親柱として白木のささやかな祠を結んだのだった。同時に彼女はその奇蹟を部落中に流布《るふ》した。彼女は人間の願いを竹駒稲荷大明神に伝え、大明神の言葉を人間に受け次いでやると言うのだった。
 祠は急に賑《にぎわ》い出した。或る農婦の、一昼夜も断続していた胃痙攣《いけいれん》が、その御供物《おくもつ》の一つの菓子でぴったりと止んだからだった。そして森の中には白い二本の大旗が立った。礼拝の人々は絶えないほどになって行った。緑の林の中に、赤、白、青、黄、紫の五色の旗が翻《ひるがえ》り、祠の屋根に黄金色《こがねいろ》の擬宝珠《ぎほうじゅ》が夕陽をうけて光り出した。そして賽銭《さいせん》が祠守りの生活を十分に保証し、山林や田畑を寄進する地主さえあった。
 部落《むら》に移り住んで開業して以来、極めて流行《はや》らなかった湯沢医者は、最も科学的な自分の職業を捨てて、最も非科学的な女房の職業の下に寄食することになったのだった。彼は彼女と一緒に、昔の湯沢医院を捨てて祠の前に移り住んで行った。そして彼は、その豪壮な新邸宅ですることもなく手持ち無沙汰に暮らしていた。
 竹駒稲荷大明神の祠は益々|賑《にぎわ》って行った。あの猟犬ジョンが死
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