或《あ》る嬰児殺《えいじごろ》しの動機
佐左木俊郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)或《あ》る嬰児殺《えいじごろ》しの動機

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)毎朝|神田《かんだ》の青物市場へ

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 都会は四つの段階をもって発達し膨張するのを常とする。海港の街は、まずその触手を海岸へ、海岸の空地へと伸ばしていく。田舎の小さな町でさえ、そこに一本の河川が流れていると、河岸へ河岸へと水に向けて広がっていく。そして、水際に猫の額ほどの空地もなくなると、第二段階としてその郊外に向けて農耕地域の上に触角を伸ばしていくのだ。その機構の許す限り、どこまでもどこまでも広がっていく。しかし、ここまではほんの広がるだけに過ぎない。広がり切れなくなったところで、初めて膨張が始まる。まず空へ! 建築という建築が空を目がける。上層建築が建ち並ぶ。太陽のない街が続く。街上に太陽が照らなくなると、第四段階の発達として、容易に地下の街が構成されるのだ。地下工場! 地下住宅! そして第五段階は? それはもはや都会の膨張発達を示す段階ではなく、地下と地上との対立を示す新しい出発点なのだ。消費者の占めていた地域の上に初めて生産者が氾濫《はんらん》し、生産者群の地帯が膨張するのだ。
 東京はいまその第二段階の軌道を踏んで、西郊一帯の農耕の地域に向けて広がりながら失業者を生んでいる。そして、社会のその宿命的な約束から逃れようとする人間の往来で、街上は朝の明け方から夜中まで洪水のような雑踏を極めている。わけても、新宿《しんじゅく》駅前から塩町《しおちょう》辺にかけての街上一帯は日に日にその雑踏が激しくなるばかりだ。
 吾平爺《ごへいじじい》は毎朝この雑踏の中を駆け抜けなければならないことを考えると、骨の底からの緊張を感ずるのであった。新宿駅前の、洪水のように吐き出されてきて四方へ散っていくあの人間の潮《うしお》! そして市内電車。草色の市営乗合自動車。水色の市営乗合自動車。その間を無数の円タクが鼓豆虫《みずすまし》のように縫い回るのであった。
 貨物自動車や自転車の間に挟まれて、雑踏に押し揉《も》まれながらよちよちと重い荷車を曳《ひ》いていく自分を、吾助爺は奔流の中に渦巻かれながら浮き沈みして流れていく木切れか何かのように感ずるの
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