昔の夷と湊――が東の、小木が南の船着場になつて居ります。小木は今では昔の女郎屋が料理屋に變つて來ました。兩津は今なほ遊廓町です。澤根は近くに二見と言ふ遊廓町を控へて居るので正式の遊女は居りません。此頃から今ではほんとうに胃の腑を滿たす澤根團子と言ふ名物が出來て居ります。
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酒は酒屋に團子は茶屋に女郎は相川の市町に
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と言ふ歌もあります。
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來るか來るかと上沖見れば矢島經島影ばかり
面の憎いは澤崎鼻だ見たい帆影をはやう隱す
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 これらは小木全盛時代の遺物です。今でも小木の鎭守の社の前には道祖神とならんだ數個の陰陽石に捧げものが絶えません。毎年六月三十日にその社で輪くぐりと言ふものを町の男女にやらせます。男は神殿にある輪をくぐつたら右へまはつて歸る、女はその反對にまはると言ふので、全町の人が其れをやりに行きます。輪はわらで造つて杉の葉で飾つたものです。社は木崎神社と言つて、小木のそとのま、内のまの二つの港のまん中に突き出した半島にあつて、祭神は此花咲耶姫だと言ふ事です。此祭の晩に必ず買はなければなら
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