隱れた肉欲に僅ばかり殘された自由と力、猫の食器の隅に殘つた一二本の小骨のやうな自由と力、それが無かつたら全部死んでゐるのでせうね。
抽象的な理智と倣慢と虚榮とが人間を惡魔に賣つた。これは夢でせうか。
貨物自動車に泥水を浴びせられるのを恐れて軒下にすくむ人の顏には何らの表情もありません。それを當然の、天から與へられた運命とでも思つて居るのでせうか。犬でさへ怒つて吠えるでせうに。
嘲笑と苦笑との外に笑のあることを覺えてゐるのでせうか。筋肉は萎縮して笑の感覺を忘れてしまつてゐはしませんか。横つ腹の痛くなること、涙の出ること、激しくなると立つてゐられなくなつて寢て手足をばたばたやるやうになるものだとは知りますまい。
しかしこれは震災前からのことだつた。
代代木中野方面の徳川三百年の苦心で作つた防風林をどしどし切つて行く東京、徳川末期の名人の名をさへ忘れた日本、震災のための廣場をつぶして人を殺した東京、徳川の時代にあつた檢見を六十年も忘れてゐた日本。
小學校で唱歌を教へさせて何のためだか知らずに通して來た日本。
折角教はつたが歌へない。
歌を歌ひたいものはまづ酒を呑まなければな
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