、牛のけつを甜めろ、赤いおべべを着て踊れ。とんきような聲を出せ。蝦のやうにはねろ。高架線の上の針金を綱渡りしろ。無茶です。
 しかし不思議です。一人も歌をうたつて居ない。ラヂオががあがあ言つて居る。しかし人は口笛さへ吹かない。自動車がぶうぶう言つてゐる。電車ががんがん言つてゐる。しかし人は笑聲さへ立てない。恐ろしい處です。墓場でせうか。地獄でせうか。雜音が威張り散らしてゐる。しかし人間は。あまりにしいんとしてゐる。
 花やかな東京の中心地であつた日比谷の交叉點には泥水の池が出來てゐる。泥水には自動車の油がギラギラ浮いてゐる。
 あんまり情ないではありませんか。人間を、生きてゐる人間を、生きながらあの泥水の中に、泥水を浴びせる自動車のまん中に、何のとががあつてでせう。交通巡査。交通巡査は物なのでせうか。
 死神の運轉する機械、惡魔の油をさした機械。誰に責任があつて斯んな事をしてゐるのでせう。馬鹿なのでせうか。文明。文明つて斯んな物なのでせうか。もう道に疲れて後戻り出來ないのですか。飛んだ方向へ來てしまつてゐるではありませんか。氣の毒な。もう不滿を感じたり反抗したりする力もないのですか。

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