谿谷を北澤、南の谿谷を南澤と言つて、北澤は鑛山の入口精錬所の建物に奧深くまで占領されて居り。南澤には荒寺に交つて民家と僅かばかりの田があるのです。北澤は春先雪割草岩鏡などの咲き亂れる雪解の遲い谿で、夏は此附近で一番凉しい處です。南澤は寧ろ冬暖かな谿で春は櫻や梅の咲く處です。山の尾も山のせも單調に延びてゐません。せの中に尾があり尾の中に小さなせがあり、すべて岩石の間を節の高い身のしまつた竹と金屬性の力を持つた這松茨藤蔓などが岩を割るやうにして生えて居ます。
竹の葉に雪が載つてゐる。籔の中は薄暗いトンネルになつて居ます。分けると襟と言はず肩と言はず雪が降り掛かる。出鱈目に手を出すと何本かの竹が握れる。出鱈目に足を出すと必ず何本か密生して居る竹の根に引つ掛かる。これを手頼りとして何處までも昇つて行く。頭の上の竹の葉を渡る風の音は物凄い。いくら行つても籔ばかりで首の出せない時は此儘で歸れずに力が盡き腹が空つて體が冷えて死んでしまふのではないかと考へる。葉から降りかかつた雪は解けて脊中まで濡らしてゐる。手から一|分《ぶ》の何十分の一の外の手套の上には一旦溶けた雪が更に氷つて指の屈伸の跡を殘して
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