のおとわと言ふのが、木こりに言つたものか、みみ――木の子――でも取りに行つたものか、此二里の谿間の死んだ樹の下をくぐつて一番奧まで來たことがある。此處だけには生き殘つてゐる大木の下の眞つ暗な中でふと月の障が出來て着物の裾をよごしたのださうです。五六丈の上から垂れ下つた藤蔓をたよりに浮島へ渡つて清めようとしたときに池の主が之を見込んでその儘ずるずると引き込んだと言ふ。その穴が今もある此穴で、それ以來此池をおとわ池と言ふと言ふ話です。
 斯う言ふやうな傳説は佐渡の到る處にあるやうです。
 此佐渡の北の外れから北佐渡を東西に二分する山の脊が、黒姫、金剛、金北、妙見と次第に南下して、今言つたおとわ池の西を通過して、青野峠から相川の東と南とを壓迫しながら北佐渡の最南端二見崎で西の海に沒してゐる。この山の脊を超えて國なかの平野に出るには、青野峠によるか、半間幅の里道によるか、三間幅の縣道によるかの三つです。今日利用されてゐるのは此三の中の一番南の縣道です。此縣道を土地の人は新道と呼んでゐます。此新道の北に舊道があり、舊道の北にまた更に古い道があります。此道を土地では二つ岩道と言つて居ります。此道は
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