人の名を訊かせようとしたが、早跡形もなくなつてゐた。その同じ夜寺田彌三郎と言ふ士が下戸――おりとと讀む、相川の南部、二つ岩から程遠くない處――の番處のそばで怪しいものを切つたと言ふのがあとで分かつて、思ひ合はして見ると療治に招ばれた先は二つ岩團三郎だつたかも知れないと書いてある。
私の聞いた話では、歸るとき先方で、實は自分は二つ岩團三郎であると打ち明けて、お禮として錢差に差した一さしの金を寄越して、これは極めて輕少だが、いくら費つても最後の一文だけを殘しておけば再びもと通りになるのだから、人に隱して子孫へ傳へるやうにと言ふ事だつたさうです。處が、子孫のなかに言ひ付けを守らない男が出てみんなつかつてしまつたので、もう決して殖えなくなつたが、其錢差だけは今も尚瀧浪家の神棚に下げてあると言ふ話です。瀧浪の子孫の家は私の家から一二町南にあります。二つ岩道へ出る處にありますが、昔大した醫者の居た家とは思はれない家構です。
團三郎の細君は相川から六七里ばかり北の佐渡の西岸の關と言ふ化石の澤山採れる村から一寸行つた處の寒戸〔さぶと〕と言ふ處に祭られてゐます。穴の中から暑中でも冷い風が吹き出してゐ
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