に而、定御供《じやうおとも》に相加候處、勤向《つとめむき》も相分候に付、仕合の事に御座候。此廿二日には増上寺御|豫參《よさん》有[#レ]之、御供に而御座候處、誠《まこと》賑々敷《にぎ/\しき》次第に御座候。頓《とん》と五社御參詣の時の如く、御衣冠|御轅《おんながえ》に被[#レ]爲[#レ]召、美を盡し候事に御座候。此旨御安否御伺迄奉[#レ]得[#二]尊意[#一]候。恐惶謹言。
七月廿九日[#地から2字上げ]西郷善兵衞([#ここから割り注]後吉兵衞又吉之助に更む[#ここで割り注終わり])
椎原與右衞門樣
椎原權兵衞樣
追而十右衞門方へ申越候趣も御座候間、御高覽可[#レ]被[#レ]下候。
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(按)安政元年、翁二十八歳、中小姓を以て三月藩主齊彬公に扈從して始て江戸に出づ。四月樺山三圓と小石川水戸邸に赴き、始て藤田東湖に面見す。其後數々往て時事を談じ、大に其人物を推尊す。又同藩士櫻任藏にも推服する所あり。此書簡は、其當時母方の叔父椎原兄弟に寄せたものにて、椎原國雄所藏す。
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主家悲報
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