、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
二六 己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出來ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出來ぬも、功に伐《ほこ》り驕謾《けうまん》の生ずるも、皆な自ら愛するが爲なれば、決して己れを愛せぬもの也。
二七 過ちを改るに、自ら過つたとさへ思ひ付かば、夫れにて善し、其事をば棄て顧みず、直に一歩踏出す可し。過を悔しく思ひ、取繕はんと心配するは、譬へば茶碗を割り、其缺けを集め合せ見るも同にて、詮《せん》もなきこと也。
二八 道を行ふには尊卑貴賤の差別無し。摘《つま》んで言へば、堯舜は天下に王として萬機の政事を執り給へ共、其の職とする所は教師也。孔夫子は魯國を始め、何方へも用ひられず、屡々困厄に逢ひ、匹夫にて世を終へ給ひしか共、三千の徒皆な道を行ひし也。
二九 道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔に、少しも關係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出來る人出來ざる人有るより、自然心を動す人も有れ共、人は道を行ふものゆゑ、道を蹈むには上手下手も無く、出來ざる人も無し。故に只管《ひたす》ら道を行ひ道を樂み、若し艱難に逢うて之を凌んとならば、彌々《いよ/\》道を行ひ道を樂む可し。予壯年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆゑ、今はどんな事に出會ふ共、動搖は致すまじ、夫れだけは仕合せなり。
三〇 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり。去れ共、个樣《かやう》の人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるゝに付、孟子に、「天下の廣居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ、志を得れば民と之に由り、志を得ざれば獨り其道を行ふ、富貴も淫すること能はず、貧賤も移すこと能はず、威武も屈すること能はず」と云ひしは、今仰せられし如きの人物にやと問ひしかば、いかにも其の通り、道に立ちたる人ならでは彼の氣象は出ぬ也。
三一 道を行ふ者は、天下|擧《こぞつ》て毀《そし》るも足らざるとせず、天下擧て譽るも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。其の工夫は、韓文公が伯夷の頌を熟讀して會得せよ。
三二 道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。司馬温公《しばおんこう》は閨中《けいちゆう》にて語りし言も、人に對して言ふべからざる事無しと申されたり。獨を愼むの學推て知る可し。人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の事なり、戒む可し。
三三 平日道を蹈まざる人は、事に臨て狼狽し、處分の出來ぬもの也。譬へば近隣に出火有らんに、平生處分有る者は動搖せずして、取仕末も能く出來るなり。平日處分無き者は、唯狼狽して、中々取仕末どころには之無きぞ。夫れも同じにて、平生道を蹈み居る者に非れば、事に臨みて策は出來ぬもの也。予先年出陣の日、兵士に向ひ、我が備への整不整を、唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝《つい》て見よ、夫れは第一の備ぞと申せしとぞ。
三四 作略《さりやく》は平日致さぬものぞ。作略を以てやりたる事は、其|迹《あと》を見れば善からざること判然にして、必ず悔い有る也。唯戰に臨みて作略無くばあるべからず。併し平日作略を用れば、戰に臨みて作略は出來ぬものぞ。孔明は平日作略を致さぬゆゑ、あの通り奇計を行はれたるぞ。予嘗て東京を引きし時、弟へ向ひ、是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆゑ、跡は聊か濁るまじ、夫れ丈けは見れと申せしとぞ。
三五 人を籠絡《ろうらく》して陰に事を謀る者は、好し其事を成し得る共、慧眼《けいがん》より之を見れば、醜状著るしきぞ。人に推すに公平至誠を以てせよ。公平ならざれば英雄の心は決して攬《と》られぬもの也。
三六 聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、迚《とて》も企て及ばぬと云ふ樣なる心ならば、戰に臨みて逃るより猶ほ卑怯なり。朱子も白刃を見て逃る者はどうもならぬと云はれたり。誠意を以て聖賢の書を讀み、其の處分せられたる心を身に體し心に驗する修行致さず、唯|个樣《かよう》の言|个樣《かよう》の事と云ふのみを知りたるとも、何の詮無きもの也。予今日人の論を聞くに、何程尤もに論する共、處分に心行き渡らず、唯口舌の上のみならば、少しも感ずる心之れ無し。眞に其の處分有る人を見れば、實に感じ入る也。聖賢の書を空く讀むのみならば、譬へば人の劒術を傍觀するも同じにて、少しも自分に得心出來ず。自分に得心出來ずば、萬一立ち合へと申されし時逃るより外有る間敷也。
三七 天下後世迄も信仰悦服せらるゝものは、只是一箇の眞誠《しんせい》也。古へより父の仇を討ちし人、其の麗《か》ず擧て數へ難き中に、獨り曾我の兄弟のみ、今に至りて兒童婦女子迄も知らざる者の有らざるは、衆に秀でゝ、誠の篤き故也。誠ならずして世に譽らるゝは、僥倖の譽也。誠篤ければ、縱令當時知る人無く共、後世必ず知己有るもの也。
三八 世人の唱ふる機會とは、多くは僥倖の仕當《しあ》てたるを言ふ。眞の機會は、理を盡して行ひ、勢を審かにして動くと云ふに在り。平日國天下を憂ふる誠心厚からずして、只時のはずみに乘じて成し得たる事業は、決して永續せぬものぞ。
三九 今の人、才識有れば事業は心次第に成さるゝものと思へ共、才に任せて爲す事は、危くして見て居られぬものぞ。體有りてこそ用は行はるゝなり。肥後の長岡先生の如き君子は、今は似たる人をも見ることならぬ樣になりたりとて嘆息なされ、古語を書て授けらる。
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夫天下非[#(レバ)][#レ]誠[#(ニ)]不[#レ]動[#(カ)]。非[#(レバ)][#レ]才[#(ニ)]不[#レ]治[#(ラ)]。誠之至[#(ル)]者。其動[#(ク)]也速。才之周[#(ネキ)]者。其治也廣[#(シ)]。才[#(ト)]與[#レ]誠合[#(シ)]。然[#(ル)]後事[#(ヲ)]可[#(シ)][#レ]成[#(ス)]。
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四〇 翁に從て犬を驅り兎を追ひ、山谷を跋渉《ばつせふ》して終日獵り暮らし、一田家に投宿し、浴終りて心神いと爽快に見えさせ給ひ、悠然として申されけるは、君子の心は常に斯の如くにこそ有らんと思ふなりと。
四一 身を修し己れを正して、君子の體を具ふる共、處分の出來ぬ人ならば、木偶人も同然なり。譬へば數十人の客不意に入り來んに、假令何程饗應したく思ふ共、兼て器具調度の備無ければ、唯心配するのみにて、取賄ふ可き樣有間敷ぞ。常に備あれば、幾人なり共、數に應じて賄はるゝ也。夫れ故平日の用意は肝腎《かんじん》ぞとて、古語を書て賜りき。
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文[#(ハ)]非[#(ル)][#二]鉛槧[#(ニ)][#一]也。必[#(ズ)]有[#(リ)][#二]處[#(スル)][#レ]事[#(ニ)]之才[#一]。武[#(ハ)]非[#(ル)][#二]劒楯[#(ニ)][#一]也。必[#(ズ)]有[#(リ)][#二]料[#(ル)][#レ]敵[#(ヲ)]之智[#一]。才智之所[#レ]在[#(ル)]一焉而已。[#ここから割り注]○宋、陳龍川、酌古論序文[#ここで割り注終わり]
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追加
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一 事に當り思慮の乏しきを憂ふること勿れ。凡思慮は平生默坐靜思の際に於てすべし。有事の時に至り、十に八九は履行《りかう》せらるゝものなり。事に當り率爾に思慮することは、譬へば臥床|夢寐《むび》の中、奇策妙案を得るが如きも、明朝起床の時に至れば、無用の妄想に類すること多し。
二 漢學を成せる者は、彌漢籍に就て道を學べし。道は天地自然の物、東西の別なし、苟も當時萬國對峙の形勢を知らんと欲せば、春秋左氏傳を熟讀し、助くるに孫子を以てすべし。當時の形勢と略ぼ大差なかるべし。
[#ここで字下げ終わり]
問答
岸良眞二郎 問
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一 事に臨み猶豫|狐疑《こぎ》して果斷の出來ざるは、畢竟憂國之志情薄く、事の輕重時勢に暗く、且愛情に牽さるゝによるべし。眞に憂國之志相貫居候へば、決斷は依て出るものと奉[#レ]存候。如何のものに御座候哉。
二 何事も至誠を心となし候へば、仁勇知は、其中に可[#レ]有[#レ]之と奉[#レ]存候。平日別段に可[#レ]養ものに御座候哉。
三 事の勢と機會を察するには、如何着目仕可[#レ]然ものに御座候哉。
四 思設ざる事變に臨み一點動搖せざる膽力を養には、如何目的相定、何より入て可[#レ]然ものに御座候哉。
[#ここで字下げ終わり]
南洲 答
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一 猶豫狐疑は第一毒病にて、害をなす事甚多し、何ぞ憂國志情の厚薄に關からんや。義を以て事を斷ずれば、其宜にかなふべし、何ぞ狐疑を容るゝに暇あらんや。狐疑猶豫は義心の不足より發るものなり。
二 至誠の域は、先づ愼獨より手を下すべし。間居即愼獨の場所なり。小人は此處萬惡の淵藪《えんそう》なれば、放肆《はうし》柔惰の念慮起さざるを愼獨とは云ふなり。是善惡の分るゝ處なり、心を用ゆべし。古人云ふ、「主[#(トシ)][#レ]靜[#(ヲ)]立[#(ツ)][#二]人極[#(ヲ)][#一]」[#ここから割り注]○宋、周濂溪の語[#ここで割り注終わり]是其至誠の地位なり、不[#レ]愼べけんや、人極を立ざるべけんや。
三 知と能とは天然固有のものなれば、「無知之知[#(ハ)]。不[#(シテ)][#レ]慮[#(ヲ)]而知[#(リ)]。無能之能[#(ハ)]。不[#(シテ)][#レ]學[#(バ)]而能[#(クス)]」[#ここから割り注]○明、王陽明の語[#ここで割り注終わり]と、是何物ぞや、其|惟《たゞ》心之所爲にあらずや。心明なれば知又明なる處に發すべし。
四 勇は必ず養ふ處あるべし。孟子云はずや、浩然之氣を養ふと。此氣養はずんばあるべからず。
五 事の上には必ず理と勢との二つあるべし。歴史の上にては能見分つべけれ共、現事にかゝりては、甚見分けがたし。理勢は是非離れざるものなれば、能々心を用ふべし。譬へば賊ありて討つべき罪あるは、其理なればなり。規模《きぼ》術略吾胸中に定りて、是を發するとき、千仞に坐して圓石を轉ずるが如きは、其勢といふべし。事に關かるものは、理勢を知らずんばあるべからず。只勢のみを知て事を爲すものは必ず術に陷るべし。又理のみを以て爲すものは、事にゆきあたりて迫《つま》るべし。いづれ「當[#(ツテ)][#レ]理[#(ニ)]而後進[#(ミ)]。審[#(ニシテ)][#レ]勢[#(ヲ)]而後動[#(ク)]」[#ここから割り注]○陳龍川、先主論の語[#ここで割り注終わり]ものにあらずんば、理勢を知るものと云ふべからず。
六 事の上にて、機會といふべきもの二つあり。僥倖の機會あり、又設け起す機會あり。大丈夫僥倖を頼むべからず。大事に臨では是非機會は引起さずんばあるべからず。英雄のなしたる事を見るべし、設け起したる機會は、跡より見る時は僥倖のやうに見ゆ、氣を付くべき所なり。
七 變事俄に到來し、動搖せず、從容其變に應ずるものは、事の起らざる今日に定まらずんばあるべからず。變起らば、只それに應ずるのみなり。古人曰、「大丈夫胸中|灑々《しや/\》落落《らく/\》。如[#(ク)][#二]光風霽月[#(ノ)][#一]。任[#(ズ)][#二]其[#(ノ)]自然[#(ニ)][#一]。何[#(ゾ)]有[#(ラン)][#二]一毫之動心[#一]哉」[#ここから割り注]○明、王耐軒筆疇の語[#ここで割り注終わり]と、是即ち標的なり。如[#レ]此體のもの、何ぞ動搖すべきあらんや。
[#ここで字下げ終わり]
補遺
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一 誠はふかく厚からざれば、自ら支障も出來るべし、如何ぞ慈悲を以て失を取ることあるべき、決して無き筈なり。いづれ誠の受用《じゆよう》においては、見ざる所において戒愼し、聞かざる所において恐懼する所より手を下すべし。次第に其功も積て、至誠
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