明かならば、百般の事業は從て進歩す可し。或ひは耳目を開發せんとて、電信を懸け、鐵道を敷き、蒸氣仕掛けの器械を造立し、人の耳目を聳動《しようどう》すれ共、何に故電信鐵道の無くては叶はぬぞ缺くべからざるものぞと云ふ處に目を注がず、猥りに外國の盛大を羨み、利害得失を論ぜず、家屋の構造より玩弄物に至る迄、一々外國を仰ぎ、奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、國力疲弊し、人心浮薄に流れ、結局日本身代限りの外有る間敷也。
一一 文明とは道の普く行はるゝを贊稱せる言にして、宮室の壯嚴、衣服の美麗、外觀の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蠻やら些《ち》とも分らぬぞ。予嘗て或人と議論せしこと有り、西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと爭ふ。否な野蠻ぢやと疊みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、實に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開矇昧の國に對する程むごく殘忍の事を致し己れを利するは野蠻ぢやと申せしかば、其人口を莟《つぼ》めて言無かりきとて笑はれける。
一二 西洋の刑法は專ら懲戒を主として苛酷を戒め、人を善良に導くに注意深し。故に囚獄中の罪人をも、如何にも緩るやかにして鑒誡《かんかい》となる可き書籍を與へ、事に因りては親族朋友の面會をも許すと聞けり。尤も聖人の刑を設けられしも、忠孝仁愛の心より鰥寡《かんくわ》孤獨を愍《あはれ》み、人の罪に陷るを恤《うれ》ひ給ひしは深けれ共、實地手の屆きたる今の西洋の如く有しにや、書籍の上には見え渡らず、實に文明ぢやと感ずる也。
一三 租税を薄くして民を裕《ゆたか》にするは、即ち國力を養成する也。故に國家多端にして財用の足らざるを苦むとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐《しひ》たげぬもの也。能く古今の事跡を見よ。道の明かならざる世にして、財用の不足を苦む時は、必ず曲知|小慧《せうけい》の俗吏を用ひ巧みに聚斂《しうれん》して一時の缺乏に給するを、理財に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐たげるゆゑ、人民は苦惱に堪へ兼ね、聚斂を逃んと、自然|譎詐《きつさ》狡猾《かうくわつ》に趣き、上下互に欺き、官民敵讐と成り、終に分崩《ぶんぽう》離析《りせき》に至るにあらずや。
一四 會計出納は制度の由て立つ所ろ、百般の事業皆な是れより生じ、經綸中の樞要なれば、愼まずばならぬ也。其大體を申さば、入るを量りて出づるを制するの外更に他の術數無し。一歳の入るを以て百般の制限を定め、會計を總理する者身を以て制を守り、定制を超過せしむ可からず。否らずして時勢に制せられ、制限を慢にし、出るを見て入るを計りなば、民の膏血《かうけつ》を絞るの外有る間敷也。然らば假令事業は一旦進歩する如く見ゆる共、國力疲弊して濟救す可からず。
一五 常備の兵數も、亦會計の制限に由る、決して無限の虚勢を張る可からず。兵氣を鼓舞して精兵を仕立なば、兵數は寡くとも、折衝禦侮共に事缺ぐ間敷也。
一六 節義廉恥を失て、國を維持するの道決して有らず、西洋各國同然なり。上に立つ者下に臨で利を爭ひ義を忘るゝ時は、下皆な之に倣ひ、人心忽ち財利に趨り、卑吝の情日々長じ、節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も錢財を爭ひ、相ひ讐視するに至る也。此の如く成り行かば、何を以て國家を維持す可きぞ。徳川氏は將士の猛き心を殺ぎて世を治めしか共、今は昔時戰國の猛士より猶一層猛き心を振ひ起さずば、萬國對峙は成る間敷也。普佛の戰、佛國三十萬の兵三ヶ月糧食有て降伏せしは、餘り算盤に精しき故なりとて笑はれき。
一七 正道を踏み國を以て斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。
一八 談國事に及びし時、慨然として申されけるは、國の凌辱《りようじよく》せらるゝに當りては、縱令國を以て斃るゝ共、正道を踐み、義を盡すは政府の本務也。然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれ共、血の出る事に臨めば、頭を一處に集め、唯目前の苟安《こうあん》を謀るのみ、戰の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也。
一九 古より君臣共に己れを足れりとする世に、治功の上りたるはあらず。自分を足れりとせざるより、下々の言も聽き入るゝもの也。己れを足れりとすれば、人己れの非を言へば忽ち怒るゆゑ、賢人君子は之を助けぬなり。
二〇 何程制度方法を論ずる共、其人に非ざれば行はれ難し。人有て後方法の行はるゝものなれば、人は第一の寶にして、己れ其人に成るの心懸け肝要なり。
二一 道は天地自然の道なるゆゑ、講學の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己れに克つの極功《きよ
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
西郷 隆盛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング