遺訓
西郷隆盛

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)請問《せいもん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)徳|懋《さか》んなる

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「兀のにょうの形+虫」、第4水準2−87−29]

 [#…]:返り点
 (例)幾[#(ビカ)]歴[#(テ)][#二]辛酸[#(ヲ)][#一]

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)幾[#(ビカ)]歴[#(テ)]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)彌々《いよ/\》道を行ひ道を樂む可し。
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一 廟堂に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、些とも私を挾みては濟まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、廣く賢人を選擧し、能く其職に任ふる人を擧げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ眞に賢人と認る以上は、直に我が職を讓る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程國家に勳勞有る共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸祿を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるゝに付、然らば尚書[#ここから割り注]○書經[#ここで割り注終わり]|仲※[#「兀のにょうの形+虫」、第4水準2−87−29]《ちゆうき》之|誥《かう》に「徳|懋《さか》んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相對するは此の義にて候ひしやと請問《せいもん》せしに、翁欣然として、其通りぞと申されき。
二 賢人百官を總べ、政權一途に歸し、一|格《かく》の國體定制無ければ、縱令《たとひ》人材を登用し、言路を開き、衆説を容るゝ共、取捨方向無く、事業雜駁にして成功有べからず。昨日出でし命令の、今日忽ち引き易ふると云樣なるも、皆統轄する所一ならずして、施政の方針一定せざるの致す所也。
三 政の大體は、文を興し、武を振ひ、農を勵ますの三つに在り。其他百般の事務は皆此の三つの物を助くるの具也。此の三つの物の中に於て、時に從ひ勢に因り、施行先後の順序は有れど、此の三つの物を後にして他を先にするは更に無し。
四 萬民の上に位する者、己れを愼み、品行を正くし、驕奢を戒め、節儉を勉め、職事に勤勞して人民の標準となり、下民其の勤勞を氣の毒に思ふ樣ならでは、政令は行はれ難し。然るに草創《さうさう》の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文《かざ》り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。今と成りては、戊辰の義戰も偏へに私を營みたる姿に成り行き、天下に對し戰死者に對して面目無きぞとて、頻りに涙を催されける。
五 或る時「幾[#(ビカ)]歴[#(テ)][#二]辛酸[#(ヲ)][#一]志始[#(テ)]堅[#(シ)]。丈夫玉碎愧[#(ヅ)][#二]甎全[#(ヲ)][#一]。一家[#(ノ)]遺事人知[#(ルヤ)]否[#(ヤ)]。不[#下]爲[#(メニ)][#二]兒孫[#(ノ)][#一]買[#(ハ)][#中]美田[#(ヲ)][#上]。」との七絶を示されて、若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したるとて見限られよと申されける。
六 人材を採用するに、君子小人の辨酷《べんこく》に過ぐる時は却て害を引起すもの也。其故は、開闢以來世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、其長所を取り之を小職に用ひ、其材藝を盡さしむる也。東湖先生申されしは「小人程才藝有りて用便なれば、用ひざればならぬもの也。去りとて長官に居《す》ゑ重職を授くれば、必ず邦家を覆すものゆゑ、決して上には立てられぬものぞ」と也。
七 事大小と無く、正道を蹈み至誠を推し、一事の詐謀《さぼう》を用ふ可からず。人多くは事の指支《さしつか》ゆる時に臨み、作略《さりやく》を用て一旦其の指支を通せば、跡は時宜《じぎ》次第工夫の出來る樣に思へ共、作略の煩ひ屹度生じ、事必ず敗るゝものぞ。正道を以て之を行へば、目前には迂遠なる樣なれ共、先きに行けば成功は早きもの也。
八 廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我國の本體を居《す》ゑ風教を張り、然して後|徐《しづ》かに彼の長所を斟酌するものぞ。否らずして猥りに彼れに倣ひなば、國體は衰頽し、風教は萎靡《ゐび》して匡救す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす。
九 忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、萬世に亙り宇宙に彌り易《か》ふ可からざるの要道也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し。
一〇 人智を開發するとは、愛國忠孝の心を開くなり。國に盡し家に勤むるの道
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