、天性と云ふこと相分らず。生きてあるもの、一度は是非死なでは叶《かな》はず、とりわけ合點《がてん》の出來さうなものなれども、凡そ人、生を惜み死を惡む、是皆思慮分別を離れぬからのことなり。故に慾心と云ふもの仰山《ぎようさん》起り來て、天理と云ふことを覺《さと》ることなし。天理と云ふことが慥《たしか》に譯《わか》つたらば、壽殀何ぞ念《ねん》とすることあらんや。只今生れたりと云ふことを知て來たものでないから、いつ死ぬと云ふことを知らう樣がない、それぢやに因つて生と死と云ふ譯《わけ》がないぞ。さすれば生きてあるものでないから、思慮分別に渉ることがない。そこで生死の二つあるものでないと合點《がてん》の心が疑はぬと云ふものなり。この合點が出來れば、これが天理の在り處にて、爲すことも言ふことも一つとして天理にはづることはなし。一身が直ぐに天理になりきるなれば、是が身修ると云ふものなり。そこで死ぬと云ふことがない故、天命の儘《まゝ》にして、天より授かりしまゝで復《かへ》すのぢや、少しもかはることがない。ちやうど、天と人と一體と云ふものにて、天命を全《まつた》うし終《を》へたと云ふ譯なればなり。
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