ライブニツツ氏やオストワルド氏の Dynamismus 即ち Energetik(唯力論とでも譯すべき乎)であるが然るに此二派を共に非として一に偏せざる中央派とでも稱すべきは即ち所謂 Hylozoismus でスピノーザ氏の説も此意味になるのであらうと思ふがヘッケル氏は確かに此説を取るのである、而して余も亦此派を是認したいと考へる。
 評者又曰若しも此マテリーとエネルギーとの合一體を以て宇宙の本體とせぬときは本體と宇宙とは全く別物となつて宇宙は外物のために支配されることになる、宛かも神のために支配されるのと同じことである、ところがマテリーとエネルギーとの合一體を以て宇宙本體とするときには本體と宇宙とは全く一物となつて本體即ち宇宙、宇宙即ち本體と云ふことになる、其點が即ち自然的と超自然的との分れる所以であると思ふ、猶一寸茲に言はねばならぬことがある、博士はスピノーザ氏の本體を靜的實在の一例に引いたけれどもスピノーザ氏の本體は唯今も述べた如く他學者の實在とは違ひ超自然的でなく全くマテリーとエネルギーとの合一體であるから此點は大に注目せねばならぬことと思ふ、一寸此事を斷つて置く。
 井上博士
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