宗教をも全く迷信として顧みないのであるが同氏を尊崇する加藤の如きも矢張同樣である、然るに宗教の古來今日迄存在して居るのは宇宙間には到底自然科學で解釋の出來ぬものがあるから、そこで宗教が必要になるのであつてスペンサー氏の如きも「不可知」を立てゝ宗教と科學とを調和することに努めたから多少道理が立つけれどもヘッケル氏に至ては左樣なことさへせぬのである云々。
評者曰、スペンサー氏は博士の論ぜられる如く宇宙の本體は何である乎、到底自然科學で解るものでないと認めて「不可知」を立てゝ宗教と科學との調和を圖つたのであるけれども此調和といふことに就ては余は甚だ服せぬのであるが併し、それは別問題であるから今は論ぜぬことゝして唯スペンサー氏が宇宙本體の如何は到底不可知であると斷言したことに就ては少しく論じたい、それに就て論ずると余が宇宙本體と認めるものを論ずるに大に便宜を得ることになるからである、スペンサー氏は形而上學者でも又唯心學者でもない、全く經驗學者であるから同氏の不可知論には固より大に取るべき所があるやうに感ぜられる、宇宙本體の性質にも又現象の性質にも今日迄人智で解釋の出來ぬことは夥多あるのである
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