分の勝手にならぬことがある、即ち前述の自己の境遇のことやら又は人間として自然といふものの爲めに何としても餘儀なくされる、それに就てはハルトマン氏抔は無意識哲學(〔Philosophie des Unbewus&ten〕)の中に叙述して居る、自分では左樣にせずとも、よいと思つても自然と衝動(Drang)が出てやらしてしまふ、又尚一つ自分一身で如何ともすることの出來ぬものがある、それは如何なる譯乎といふに一體意思といふものは動向から出て來る、是は心理學者も大抵左樣に言つて居るのであるが元來意思なるものは感情若くは知識とは違て大に肉體の働が加はつて居るからの譯からである、知でも情でも多少生理的變化を伴つては居るけれども決して意思が生理的關係を持て居る程ではない、意思は肉體が働かねば意思にはならぬ、唯しやうとした丈けでは未だ意思ではない、ところが動向も矢張肉體的活動を伴つて居る、決して單に心理的作用のみでない、それゆへヘルバルト氏の如きは動向は心理的作用といふよりも寧ろ生理的作用といふ方がよいと述て居る。
井上博士又曰動向は必ず筋肉の活動を伴ふて居る、のみならず必ず目的がある、けれども、それ
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