ではない乎、近頃の生物學者の考では仍ほ未だ眼耳抔の具はらぬ最下等動物は本來表皮(Oberhaut)で見もし聞きもしたのであるに、それが次第に進化發展して特別に眼耳抔の如き機關が出來るようになつたといふことであるがそれは必ず意思の働きに外ならぬことと思ふ、往昔印度の行者に始終手を差上げて居て、それを神に捧げたいと思つたところが其手が後には全く肉が落ち枯木のやうになつてしまつたといふ話があるが是れも全く強い意思の力である、其樣なる譯で意思といふものは必ず生存競爭の活力とならねばならぬものと信ぜざるを得ぬのである云云。
評者曰博士は生存競爭を説くには必ず先づ意思の事を説かねばならぬ、意思がなければ決して競爭の起るものでないと述て二頭の虎の例を引かれ且つショッペンハウエル氏の如きは其著書に意思なるものが萬物發展の根本活力となる所以を論じたがダーヰン氏の著書には意思の事は少しもない、けれども是れは必ず意思論で補はねばならぬと論ぜられたのであるが意思なるものが生存競爭を惹起する活力であるといふことは無論のことである、全く尤なる論と思ふ、但し意思といへば蓋し高等動物以下には言へぬことで其以下には仍
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